かた》くとざされた心にも、この愛すべき小鳥の声は、時としては何かほのぼのとした温《あたた》かいものを感じさせるのであった。それは多くは幼時の遠い記憶に結びついているようである。――時々まだ飛べない雀の子が巣から足をすべらして樋の下に落ちこむことがあった。親雀が狂気のようにその近くを飛びまわっている時、青い囚衣を着て腕に白布をまいた雑役夫たちが、樋の中に竹の棒をつっ込みながら何か大声に叫び立てている。それは高い窓からも折々うかがわれる風景であったが、ほんの一瞬間ではあるが、それは自分の現在の境遇を忘れさせてくれるに足るものであった。――五年という月日は長いが、すべてこれらの音の世界が残されている限りは、俺《おれ》も発狂することもないだろう、などと太田は時折思ってみるのであった。
だが、何にも増して彼が心をひかれ、そしてそれのみが唯一の力とも慰めともなったところのものは、やはり人間の声であり、同志たちの声であった。
その声はどんな雨の日にも風の日にも、これだけは欠くることなく正確に一日に朝晩の二回は聞くことができた。朝、起床の笛が鳴りわたる。起きて顔を洗い終ると、すぐに点検の声がかかる。戸に向って瘠《や》せて骨ばった膝《ひざ》を揃《そろ》えて正坐する時には、忘れてはならぬ屈辱の思いが今さらのようにひしひしと身うちに徹して感ぜられ、点検に答えて自分の身に貼《は》りつけられた番号を声高く呼びあげるのであった。欝結《うっけつ》し、欝結して今は堪えがたくなったものが、一つのはけ口を見出して迸《ほとば》しり出《い》ずるそれは声なのである。人々はこの声々に潜むすべての感情を、よく汲《く》みつくし得るであろうか。――太田はいつしかその声々の持つ個性をひとつひとつ聞きわけることができるようになった。――一九三×年、この東洋第一の大工業都市にほど近い牢獄《ろうごく》の独房は、太田と同じような罪名の下に収容されている人間によって満たされていたのだ。太田は鍛え上げられた敏感さをもって、共犯の名をもって呼ばれる同志たちがここでも大抵一つおきの監房にいることをすぐに悟ることができた。その声のあるものは若々しい張りを持ち、あるものは太く沈欝であった。その声を通してその声の主がどこにどうしているかをも知ることが出来るのであった。時々かねて聞きおぼえのある声が消えてなくなることがある。二、三日して
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