が刺戟となつて更に激しく咳入るのであつた。
洗面器から顏をあげて喪心したやうにその中を凝つとのぞき込んだ時には、血はべつとりとその底を一面にうづめてゐた。溜つた血の表面には小さな泡がブツブツとできたりこはれたりしてゐた。一瞬間前までは、自分の生きた肉體を温かに流れてゐたこの液體を、太田は何か不思議な思ひでしばらく見つめてゐた。彼は自分自身が割合に落着いてゐることを感じた。胸はしかし割れるかと思はれるほどに動悸を打つてゐた。顏色はおそらく白つぽく乾いてゐたことであらう。靜かに立上ると報知機をおとし、それからぐつたりと彼は仰向けに寢ころんだ。
靴音がきこえ、やがて彼の監房の前で立止まり、落ちてゐた報知機をあげる音がきこえ、次に二つの眼が小さな覗き窓の向ふに光つた。
「何だ?」
太田は答へないで寢たまゝであつた。
「おい、何の用だ?」光線の關係で内部がよく見えなかつたのであらう、コトコトとノツクする音が聞えたが、やがて焦立たしげにののしる聲がきこえ、次に鍵がガチヤリと鳴り、戸が開いた。
「何だ! 寢そべつてゐる奴があるか、どうしたんだ?」
太田がだまつて枕もとの洗面器を指さすと、彼は
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