汁をなめつくし、その眞只中から自分の確信を鍛へ上げた、といふほどのものではなかつた。ふだんは結構それでいいのだが、一度たとへやうもない複雜な、そして冷酷な人生の苦味につき當ると、自分の抱いてゐた思想は全く無力なものになり終り、現實の重壓に只押しつぶされさうな哀れな自己をのみ感じてくるのである。過酷な現實の前に鬪ひの意力をさへ失ひ、へなへなと崩折れて了ひ――自分が今までその上に立つてゐた知識なり信念なりが、少しも自分の血肉と溶け合つてゐない、ふわふわと浮き上つたものであつたことを鋭く自覺するやうになるのである。一度この自覺に到達するといふことは、なんといふ恐ろしい、そしてその個人にとつては不幸なことであらう。理論の理論としての正しさには從來どほりの確信を持ちながらも、しかもその理論どほりには動いて行けない自分、鋭くさういふ自分自身を自覺しながらもしかも結局どうにもならない自分、――それを感じただけでも人は容易に自殺を思はないであらうか。
自分自身が今そこでさいなまれつゝある不幸な現實の世界を熟視しながら太田は思ふのであつた。この嚴しい、激しい、冷酷な、人間を手玉に取つて飜弄するところの
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