であつた。
獨房の窓は西に向つて展いてゐた。
晝飯を終へる頃から、日は高い鐵格子の窓を通して流れ込み、コンクリートの壁をじりじりと灼いた。午後の二時三時頃には、日は丁度室内の中央に坐つてゐる人間の身體にまともにあたり、ゆるやかな弧をゑがきながら次第に靜かに移つて、西空が赤く燒くる頃ほひに漸く弱々しい光りを他の側の壁に投げかけるのであつた。こゝの建物は總體が赤煉瓦とコンクリートとだけで組み立てられてゐたから、夜は夜で、晝のうち太陽の光りに灼け切つた石の熱が室内にこもり、夜ぢゆうその熱は發散しきることなく、曉方わづかに心持ち冷えるかと思はれるだけであつた。反對の側の壁には通風口がないので少しの風も鐵格子の窓からははいらないのである。太田は夜なかに何度となく眼をさました。そして起き上ると藥鑵の口から生ぬるい水をごくごくと音をさせて呑んだ。その水も洗面用の給水を晝の間に節約《しまつ》しておかねばならないのであつた。呑んだ水はすぐにねつとりとした脂汗になつて皮膚面に滲み出た。曉方の少し冷えを感ずる頃、手を肌にあてて見ると鹽分でざらざらしてゐた。――冬ぢうカサカサにひからび、凍傷のために紫いろに腫れて肉さへ裂けて見えた手足が、黒いしみ[#「しみ」に傍点]を殘したまゝもとどほりになつて、脂肪がうつすらと皮膚にのつて、若々しい色艶を見せたかと思はれたのもほんの束の間の事であつた。今ははげしい汗疣《あせも》が、背から胸、胸から太股と全身にかけて皮膚を犯してゐた。汗をぬぐふために絶えず堅い綿布でごしごし肌をこするので強靱さを失つた太田の皮膚はすぐに赤くただれ、膿を持ち、惡性の皮膚病のやうな外觀をさへ示しはじめたのである。――監房内の温度はおそらく百度を越え、それと同時に房内の一隅の排泄物が醗酵し切つて、饐《す》えたやうな汗の臭ひにまじり合つてムツとした惡臭を放つ時など、太田は時折封筒を張る作業の手をとゞめ、一體この廣大な建物の中には自分と同じやうなどれほど多くの血氣壯んな男たちが、この惡臭と熱氣のなかに生きたその肉體を腐らせつゝあるのだらうか、などと考へながら思はず胸をついて出る吐息とともに空を眺めやると、小さな鐵格子の窓に限られたはるかな空は依然白い焔のやうな日光に汎濫して、視力の弱つた眼には堪へがたいまでにきらめいてゐるのであつた。
ほぼ一《ひと》月もするうちに、單調なこの
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