うに切實な問題が、さらにもうひとつ急速な解決を迫つてきた。公判廷においてどういふ態度をとるべきか、從來自分の守つて來た考へにたいしてはどうでなければならないかといふ問題である。古賀は懊惱し、息づまるほどの苦しみにさいなまれた。食慾は減り見るかげもなく痩せはてて久しぶりで逢つた山田辯護士が聲をあげておどろいたほどであつた。理窟の上からはしかしこの問題は、大して考へるまでもなくすでに早く古賀の頭のなかで解決されてゐた。ただ明かにわかつてゐることを踏み行へないところに懊惱があつたのである。くりかへしくりかへし古賀は自分に問ひ自分に答へてみるのであつた。――さうではないか? なぜといつて自分はもちろん一定の確固たる理由があつてその立場をとるにいたつたものである。ところでその後自分は思ひがけない不幸な目にあつた。だが、さうした個人的な不幸といふものが一體なんであるか? 人がどういふ不幸にさらされねばならないか、それを誰が知らう。どんな慘めな目に逢はうとも、自分をしてさうした立場をとらしむるにいたつた原因が除かれない限りは自分はその立場を棄てえない筈である。棄てたといへばそれは自らをあざむくものであらう。もちろん、失明した今の自分は自分たちの運動から見れば一箇の癈兵であるにすぎない。しかしそれは、自分が今まで抱いてゐた思想を抛棄しなければならないといふ理由にはならず、いはんや從來の考へが間違ひであつたといふことを宣言しなければならないといふ理由にはならないのである。……
 時にはまた自分の内部にうごめいてゐる醜惡な他の自分を擁護するために、あらゆる有利な口實を探し出し、ならべたて、それが決して醜くはないこと、それこそがほんたうの自分であることを論證しようとして全力をあげることもあつた。が、次の瞬間には彼はあわてて苦しげに頭をうちふり、自分自身をはつきりと眞正面に見据ゑ、思ひきり冷酷に言ひ放つのである。――今更になつてあれやこれやと、はづかしくもなくよくいへたもんだ、あらゆる暗い運命ははじめつから承知の上ではなかつたのか。不幸な目にあつてゐるのは何もお前ばかりでない、こゝへ來てからだつてお前はすでに多くのさうした不幸をその目で見た筈だ。昨日もお前の筋向ひの房にゐた同志が發狂した。その時の叫び聲はまだお前の耳に殘つてゐるだらう、お前の受けた不幸は偶然的な特殊なものであり、それだけ大
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