その説明は種明しに類するものかも知れない。そして力に余る困難に挑《いど》むことそれ自体が赤蛙の目的意志ででもあるかに考へてゐるやうな、私の迂愚《うぐ》を嗤《わら》ふであらう。私はしかし必ずさうだといふのではない。動物学者の説明の通りであつてもいい。だが蛙の如き小動物からさへああいふ深い感じを受けたといふその事、あの深い感じそのものは、学者のどのやうな説明を以てしてもおそらく尽すことは出来ぬのである。
 私は自然界の神秘といふことを深く感じてゐた。私としては実に久方ぶりのことであつた。天体の事、宇宙のことを考へ、そこを標準として考へを立てて見る、といふことは私などにも時たまある。それは一種の逃避かも知れない。しかし豁然《くわつぜん》とした救はれたやうな心の状態を得るのが常である。その時と今とは同じではない。しかし自然の神秘を考へる時にもたらされる、厳粛な敬虔《けいけん》なひきしまつた気持、それでゐて何か眼に見えぬ大きな意志を感じてそこに信頼を寄せてゐる感じには両者に共通なものがあつた。
 私は昼出た時とは全くちがつた気持になつて宿へ帰つた。臭い暗い寒い部屋も、不親切な人間たちも、今はもう
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