の猟師目がけて小便をひっかけたというのである。私はこの簡単な記事を繰り返し読み、挿入されている大山猫の写真を飽かず眺めた。写真の大山猫は明治大正の頃に捕獲されたものの剥製《はくせい》で、顔つきなど実物とはまるでちがってしまっているという。が、それでも熊をも倒すといわれる精悍《せいかん》さ、獰猛《どうもう》さはうかがわれぬことはなかった。頭と胴とで一米に近く、毛色は赤味を帯びた暗灰色で、円形の暗色|斑文《はんもん》が散らばっているという。毛は長くはないが、いかにももっさり[#「もっさり」に傍点]と厚い感じだ。口は頬までも裂けていそうだ。頬には一束の毛が総《ふさ》のように叢《むら》がっている。髭《ひげ》は白く太い。――しかしその獰猛《どうもう》さを一番に語っていそうなのは、しなやかな丸太棒とでもいいたいようなその四肢だった。足は上が太く、足首に至るに従って細くなるというのが何に限らず普通だろう。足首の太いものは行動の敏活を欠くなどともいわれている。ところが大山猫の四肢は上から下までが殆ど同じ太さで、しかも胴体に比べて恐ろしく太く且つ長い。それが少しも鈍重な感を与えぬばかりか、弾力ある兇猛《きょうもう》な力を感じさせる。彼はこういう四肢をもって殆ど音もさせずに歩く。そしてその足指の陰には熊の剛毛をさえも引き裂くべき、剃刀《かみそり》のような鈎爪《かぎづめ》がかくされている。
 私はこういう剽悍《ひょうかん》な奴が、眼をランランと光らせて、樺太の密林のなかを彷徨《ほうこう》している姿を想像した。樺太全土にもはや一頭いるか二頭いるかわからない、絶滅に瀕《ひん》している、一族の最後のものなのである。何という孤独であろう! しかしそこには孤独につきまとう侘《わび》しげな影は微塵《みじん》もない。あるものはただ傲然《ごうぜん》たる気位である。満々たる闘志である。彼はいかなる場合にも森の王者たるの気位を失わない。万物の霊長たる人間が、鉄砲を差し向けた時、彼は逃げなかった。その最大の武器たる鈎爪を研いで正面から立ち向うことさえもしなかった。彼は人間の頭上から、後肢《あとあし》を持ち上げて小便を引っかけるに止《とど》まったのである! 鉄砲を持った人間などは彼にとってその程度のものにしか値しなかったのである。
 私は思わず破顔した。オオヤマネコは孤独な病者である私に最大の慰めを与えた。私は
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