と今はそのものに體あたりでぶつかつて見せる氣力の充實を彼は感じた。
 それにしても誰の仕事だらう? 大西かな、木村かな、と親しみ深い青年たちの顏を杉村は思ひ出してゐた。捕へられた日の朝、杉村は一通の文書を受けとつたのである。讀んで短い時間のうちに處分しなければならぬ文書だつた。しかし彼はそれを讀み、何かの方法で心おぼえに書きとめておきたい内容をその文書に見た。すぐにそれを果すべきではあつたが、演説會の時間が迫つてゐたので、封筒のなかに入れ、ある所にしまひこんで彼は家を出て行つた。めつたにない不注意を犯して了つたのは、そこの演説會をすますと一度歸つて來るつもりであつたからだ。捕へられてしばらくは、尋常一ぺんの檢束とたかをくくつてゐたからであらう、彼はそれについて餘り考へもしなかつた。しかしすぐに彼らの檢擧の眞の性質を知つてからは、夜も晝も絶え間なく彼を責めさいなんだものは許すべからざるさきの日の不注意だつた。それを思ふだけで杉村の滿身の血は凍つた。事務所は當然荒されてゐる筈である。もしもあれが人手にはいつたら!
 不安にをののきながら一日も早い取調べをその爲に彼は願つた。そして今彼はすべてがかつて思つても見なかつたほどに有利に解決されてゐることを知つたのである。青年のうちの誰であらう? 彼はふたたびそれを考へた。彼が捕はれ、事務所が荒されるまでにはほんのちよつとの隙があつたにちがひはない。その隙に乘じての青年たちの敏速な行動であつたのである。それにしても彼はかつて自分が青年たちの知らない組織の一人であることを明したことはなく、ましてさういふ場合の處置について依頼したことはなかつたのだ。それだけに感動は大きく、こみあげて來る熱いものをせきとめることはできなかつた。――
「まあいい、今日は歸れ。」
 内田の聲に杉村は囘想を斷たれた。内田が立つたので彼も亦立つた。立上つた内田は何か考へてゐるふうであつたが、ちよつと待て、といつて次の室へ行き、風呂敷包みを一つ下げて戻つて來た。かなりの嵩のものを机の上にどさり、とおき、
「大西つて知つてるだらうな?」
 と訊いた。
 今はくらべもののないほどの大いさで彼の心を占めてゐるその名をふいに指され、杉村は思はずぎくりとした。きつとした心で顏をあげた。それには一向氣づかぬらしく、内田は自分で風呂敷包みの結びを半分ときかけながらつゞけた。
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