迄も居るがいいわさ! 夢中で歸つて來た彼らはしばらくは足がふるへて立てなかつた。ほんのちよつとの間でも外の空氣に觸れ、出られると思つた出鼻を挫かれると、失つた自由の壓力が二重の強さで迫つて來、物狂ほしいほどの心になるのだつた。やがて落着きを取戻して來るにつれ彼らの、憤怒はたつた一人の人間に、――彼らをこのみじめな状態につきおとした責任者に向つて燃えたのである。彼奴はどこにゐるだらう。何でまたおれたちは彼奴のためにこんな目にあはなけりやならないんだ!
 その杉村が今突然彼らの前に姿を現したのである。
 しをれ切つた姿で杉村はもとの場所へ歸つて來た。そこへうづくまりしばらくはぢつと動かずにゐた。いひ知れぬ寂寥がうちからうちからとせきあげて來た。それはかつて味はつたことのないものであつた。彼らのあの眼なざしほどに今の杉村をぶちのめすものはない。あらゆる種類の困難には勇氣をもつてあたることができる。その勇氣はだが單に杉村の肉體にのみ依存するものではない。杉村その人を支へてゐる一つの大いなる存在に由るのである。その支柱の崩れ行くさまを杉村は今眼のあたりに見たのである。彼はその原因について考へ、その一半が自分たちの側にあることを見た。だがそれはいかにしてもある程度までは避け難いことにも考へられた。――いつか彼は昔よんだある小説を思ひ出してゐた。ロシアの作家のもので、彼らのなかで彼らのために働いてゐた農村オルグを縛つてつき出した農民を描いたものであつた。なほ多く經なければならないであらうあたらしい試煉の數々について、杉村は思はないわけにはいかなかつたのである。

 一月が經つた。向ひの房の四五人はその間にも二度ほど調べられた模樣だつた。杉村は歸つて來る彼らの顏から何ものかを讀みとらうとしたが不可能だつた。やがて彼らはある日姿を消し(釋放されたのであらう)、その翌日杉村は呼び出されたのである。
 導かれて部屋にはいり、机をへだててそこに坐つた眼の鋭い洋服男の顏を、やや棄鉢な氣持で下から見上げた。たつた一つ、そのことのためにまんじりともしなかつた夜も多かつたその事實が、いや應なしに今はわかるのである……。
「暫くだつたな。」と彼はいつた。杉村はだまつてうなづいて見せた。しかし髯の濃いその圓顏はどこで見た顏かにはかに思ひ出せなかつた。
「元氣か?」
「ええ、元氣です。」
 髯の男は内田
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