あつては退けられ、きびしくはげしいものだけが迎へられた。酒や煙草や、豐かな食物などが退けられてゐたのも、あながち健康や、經濟のためばかりではなかつた。書記たちの會議があり、その夜町の事務所に泊るとき、杉村は自分の隣に寢た筈の仲間たちの姿が、いつか消えてゐるのをいくどか見た。彼らがどこへ行くかを杉村は知つてゐた。そして杉村はかつてさういふ仲間たちの後を追つたことはなかつた。一度だけ、ある夜その明るい街の方へ足を向けたことがあつた。だが、彼のふところのなかの、そしてそこで使はるべき金が、百姓の米を賣つた金から出てゐることに思ひあたつたとき、杉村は逃げるやうにして事務所へ歸つて來た。「血の一滴、精力の一とカケラといへど仕事のために。」彼はそれを聲に出していつてみた。しかしさういふ杉村の態度には、さういふものを追求してゐるのと同樣な、拘泥し囚はれたものが感じられ、萬事に圖太くなり切れぬ小心な潔癖が結局組織者としても小さな器《うつは》に過ぎぬことの證《あか》しであるかも知れなかつた。――
 頭のなかは熱し切つてゐるくせに、どこかうつろな片隅がぼそんと口をあけてゐるやうな氣持だつた。親しみ深く見慣れた机や書棚や、雜然と積みあげられた書類の山や、何から何までが妙にカサカサとして味氣なかつた。やはり身體が少し弱つてゐるのであらう。急に氣がゆるみ、何度目かの疲れが襲つて來、上衣を脱いだそのまゝの姿で、杉村は部屋の隅の寢床に横になつて眠りこんだ。

 敗戰後に當然來るべきものがしかし案外に早く來た。――それから三日目の午後、杉村はある村の選擧報告の演説會に出かけて行つた。そこでの演説を終へ、他の村へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らうと道へ出かゝると、五人の紳士がそこに待ち伏せてゐて杉村を何處かへ連れ去つて了つたのである。その場では杉村一人であつたが、その後二三日のうちに書記たちは半分に減り縣本部や各地區の事務所はガラ空きになつた。
 ――がたんと厚い扉のしまる音がし、ついで鐵と鐵のすれ合ふ音がし、消えて行く靴音を耳で追ひながら、その部屋のまん中に崩れるやうに横になつて、杉村はとろとろと何時間か眠つた。――田舍の留置場は人數も少く規則もルーズだつた。一眠りして起きると、ああ、こゝへ來たんだつけ、とあらためて氣づき、小さな窓から日の傾きかげんを測るともう日暮れにほど近い時刻らし
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