いもの思ひにふけり勝ちで、あつといふ瞬間にはもうブレーキはきかず、夜目には見えぬ砂けむりを立てて自轉車もろとも谷底におちこむ慘事が年に二度や三度はあるのだつた。さういふ地理的條件が、峠のこつち側の町に事務所を持ち、はたらく農民の組織のために奔走してゐる人々にも、いくらかおつくふな氣持を持たせたのであらう、かなり遲くまでさういふ組織とは無縁であつたのである。
 だがとうとう時が來、ある日その郡の三ヶ村の有志が町の組合の事務所を訪ねて來た。彼らが歸つたあとその夜遲くまで事務所の二階には燈火が赤々と輝いてゐた。人々は興奮してゐた。とうに誰か適當な人を送らねばならぬと氣にはかかつてゐた、それが今日向うから進んではたらきかけて來たのだ。處女地にはかうして鍬がはいつて行く。だが一體誰をこの未墾の地に送つたものであらう。ここでも仕事は多く人手は極度に少なかつた。今一定の部署がなく仕事を見ならつてゐるのは、この春學校を止してこの土地へ來たまだ若い杉村順吉一人きりだつた。ほかの仲間たちはそれぞれの地區におちついてもう一年二年と經つてゐた。杉村かその古い仲間たちか? 人々はそこではたと當惑したのである。未經驗な杉村に荷の勝ちすぎることは誰の目にも明らかだつた。かといつてその土地にいくらかでもなじんだ仲間を他に移すといふことは、農民の場合は勞働者の場合にも増して極力避けられねばならぬことである。結局杉村をやることにして議論のけりはついた。若々しく氣負ひたつて遠慮がちながら自分を主張する杉村ののぞみが入れられたわけだ。
 翌日峠の下まで五人の仲間に送られて來、かゞやかしい首途の第一歩を峠の道に向つて踏んだ日の清純な感動を、いつの日にか杉村は忘れうるであらう。
「この度は御苦勞樣のことで。」とその日の晝、村のちよつとした飮み屋の二階で開かれた十五人ほどの集りに自ら世話役と名乘る四十恰好の男が挨拶した。言葉の句切り句切りに先生、先生と呼ぶのである。すつかり赤くなつて照れながら杉村はしかし親しみにくいものを感じしつくりしない自分の氣持に當惑した。ある種の農民の型が彼の頭のなかにはできあがつてゐた。だがそれは獨斷であるとばかりはいへず、わづかの經驗ではあつても彼が見聞きした現實の農民が土臺になつてゐるのである。今彼の眼の前にあるものはぞろりとした絹ものを着、太い帶に時計を卷きつけ、白足袋をはき、ま
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