した。何ごともなかつたふうに平氣をよそほひ、何ごとにもこだはらぬ態度を全身をもつて示してゐるのだが、顏の筋肉が硬ばり、へんにゆがむのをどうすることもできなかつた。
 障子をあけた瞬間になかでの話はひたと止んだ。杉村はそこへ坐つたが誰もものをいひかけて來るものはない。廣くはない部屋に膝をつき合して向ひながら、一口もいひ出すもののないほどの氣づまりはない。おそろしい暗默の敵意である。どつちか先に口を切つた方が敗けであるやうな沈默の抗爭である。――杉村が敗けた。
「今日は馬鹿に集まりがいいね。……今晩は會議の形式はとらずに選擧の結果についてお互ひに意見を述べあひ、今後の對策について相談しあはうぢやないか。敗けたものはまア仕方がないとして。」
 いひながら刺すやうな多くの視線をからだ一杯に感じ、それまでうつむいてゐた杉村はそのときはじめて顏をあげて一點を見た。かつちり視線の合つたのが、ほぼ正面に坐つて、臆することなく眞直ぐこつちに顏を向けてゐる石川剛造であらうとは! 勝利と侮蔑と嘲笑と憎惡との錯雜にゆがんだ表情は、復讐の快さのうちにふしぎな統一を見出してゐる。杉村は今はとめどもなくべらべらとしやべり出すことでおのれの氣弱さを蔽はねばならなかつた。だがそれに應じてくるものは一人もなく、しかし彼らは彼らだけの言葉と表情で勝手にしやべり始めたのである。――
「まるまる一ヶ月まで阿呆な暇だれをしてしまうたのう。」
 ほーつと肩でする思はせぶりな太い息と共に吐き出したのは、組合の政治部員と黨の幹部を兼ね、今度の選擧には辯士隊の一人であつた山田三次である。
「山田なんざあまだいいわ。もともと口が達者で演説が飯より好きに出來とる男ぢやてのう。今度といふ今度こそはしつかとたんのう[#「たんのう」に傍点]するまでしやべつたやらうに。第一やることがはでぢやわ。――わしを見んかい、わしを! 一日ぢう机の前に坐らせられてよ。鋤鍬持つ手に筆を持つてよ。飯代がいくら、人夫賃がいくら、紙がいくら、墨がいくら、何がいくらかにがいくらと帳面つけぢや。それがてんでお日さんにも當らずとまるまる一ヶ月ぢや。毎日歸るじぶんにや、足が痺れて棒のやうやつたわ。それでも勝てるか思へばせいも出た、敗けたんぢやつまらん。」
 選擧事務員であつた川上直吉がさういひすててごろりと横になつた。
「まあ、さういふな川上、お前の手蹟《
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