に私は、かの世界的英傑としておそらくどなたでもが承知し、かつその人自身でさえ「自分の辞書には不能という言葉はない」とまで言っておったと言い伝えられているそのナポレオンが、「あらゆる病気というものはわれわれ人間が素直に自然に順わなかった結果で、したがって一度病気にかかったならば、素直に自然に順っているに限る」といった意味のことを言い残しているということを聞きましたが、さすがのナポレオンも大自然には従順であったのか、もちろんそうあるべき、またなくてはならないわけであります。が、実はナポレオンの偉大も、その真の偉大である大自然を日常ひそかに、その背景として持っておった、その反映ではなかったかと私には頷かれる点があるのでございます。そういったことを御参考までにここに申添えておきたいと存じます。
 まことにまとまりのつかない、しかもくどくどしいお話を申上げました。なんとも恐縮に堪えない次第でございます。しかるに、それにもかかわらず長い間御清聴を頂きましたことに対しまして、深く感謝をいたしまして、この壇を下ることにいたします。

        あとがき

 病後初めて演壇へ立ったことではあり、それに会合の性質がとくに研究を主としてのものでもなし、それにとくに心配であったことは、県庁関係の方にしても地方の出張所関係の方にしても、ないしは市町村役場方面の方にしても、いずれももっぱら、それぞれそこの長としての方々の会合であったので、よしその時間はわずかに一時間半ではあったものの、なおまたその上に、私より先に佐藤林学博士のお話が一時間以上もあったことではあり、万一講演の中途で中座されたり、雑談が交わされたりするのではということであった。
 したがってそれに相当の注意を払いながら拙話を進めたのであったが、約一時間も経ったが、幸いそういった気色も見えない。これはありがたいと感謝しながら話を進めているそこへ、傍の幹部の席から小紙片が渡された。見ると、「話は予定の時間より三十分や一時間長くなってもよろしいから、考えていることを徹底的に述べるように」との注意であった。さてこれは、いくぶん共鳴して戴けた結果と思えばまことにありがたくもあり、元気も数倍したが、とにかくすでに原稿を作っていることではあり、かたがたにわかに変更するほどの力もなく、ただ多少ゆっくりした気分で予定のことだけを申上げて控室へ引上げた。
 控室には会長、副会長を初め三、四幹事の方々がお見えになっただけであった、話はただいま会場でお話したそれについて、それを中心に、さらに具体的・実際的・地方的へと次第に深入りをするようになり、またそれだけ興味も加わり、ついに講演前私の観察しておいた、福島町郊外にある夏季の卓越風による柿の木の特殊な樹景およびそこの空中湿度によるその柿の木の幹にできている「スギゴケ」の実地見学に出かけるというところまで進んでしまい、いずれも、とくに当日は多忙の方々であったにもかかわらずその貴重な時間を割いて、共に野外にまで立っていただくということになった。
 しかも、それだけではない。ついに会長が、その御郷里においては、村長と農会長とを兼ねておられるというので、その村の風土調査に実地に携わるようにとの重任までもお引受けするようになってしまった。きわめて粗末な講演ではあったが、とにかく、少なくとも幹部の方々のいくぶんの共鳴なりを得たことは確かであった。
 ところがその後、約一ヶ月も経ってからのことであったと記憶するが、たまたま今私の在住しているこの諏訪郡およびそれに含まれた岡谷市とからなる、いわゆる市町村吏員会の幹事の方がお見えになり、「自分は過般木曾での会合に直接話を聴いた一人であるが、ああいった話をわれわれにだけでなく、吏員の全部で聴きたい。ついては幸い、こんどそれらの人の総会があるからそれに出席するように」との案内を受けた。
 ところが幸い、さらにまたそれが起因となって、その吏員の総会に出席された某村長氏の厚意により、その村の青年会と農会との共同の会合に出席する機会を与えられた。もちろん話の内容は、それが時に全信州であったり、全諏訪であったり、時には単にその一町村だけであったりしたから、その広狭に応じてできるだけ実際的の、すなわちその時の聴講者の直接実見・観察のできるいわゆる実例をなるべく多く提供することにし、演題もその都度変えては臨んだが、自分の使命達成、言い換えれば「風土性に対する認識並びに理解の向上普及」という点が中心であったことについては寸分の変りはなかった。
 要するに、如上の講演要項によっても窺知できるように、なにもとくに珍しい見方・考え方を発表したわけではなかった。私としてはきわめて当然な普通な、考えようによっては平凡な発表であるにもかかわらず、かく多数の方
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