疋《ぴき》乗れそうな盥を売ってくれぬかと、そこらをウロウロ捜し回ったが、こんな寒村に大盥が八個《やっつ》もあろう筈はないので、せっかくの妙案もあわれオジャンと相成った。
しかし雲巌寺を出発してから行く途々《みちみち》、渓流に沿うて断岸の上から眼下を見れば、この渓流には瀑布《たき》もあれば、泡立ち流るる早瀬もあり、また物凄く渦巻く深淵などもあって、好奇《ものずき》に盥に乗って下《くだ》ろうものなら、二人や三人土左衛門と改名したかも知れぬのだ。盥が無くて仕合《しあわせ》仕合。
(二〇)とんだ宿屋
雲巌寺から黒羽町《くろばねまち》までは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩などは茹章魚《うでだこ》のごとくになり申した。疲れに疲れし一行は、途中掛茶屋さえあれば腰を下《おろ》して、氷水を飲む、真桑瓜《まくわうり》を食う、饅頭《まんじゅう》をパク付く。衛生も糸瓜《へちま》もあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前途《さき》もう半里《はんみち》ばかりという処《ところ》まで来かかると、ここにも飴《あめ》ン棒など並べて一軒茶屋。一行はまたもや一休みして、
「黒羽で好《よ》い宿屋はどこだ」と試みに問うと、将棋を指していた四、五人の爺《じじい》連、
「そうさね、新しくできた花月がよかんべい。あの家《うち》は堅えだ。お前様方どこへ泊るね」というので、
「△△屋がいいと聞いたので、荷物も先回しに遣っておいた」と答えると、
「へへへへへ、あの家もよかんべい。梅《うめ》ヶ|谷《たに》みたいな女《あま》も二人いるだで――」と妙に笑う。形勢|甚《はなは》だ穏やかならん。よくよく聴きただせば、△△屋というのは女郎屋と背中合せの曖昧《あいまい》屋で、我が一行の荷物は先回しに、淫売宿《いんばいやど》へ担ぎ込まれた次第と分ったり。
「サア大変じゃ!」
第一に敦圉《いきま》き出したのは髯《ひげ》将軍、
「これはいかん! これはいかん! 淫売屋などへ泊れるものか、堅いという花月へ行こう」
「荷物はどうする」
「荷物なんか構うものか。△△屋の前は知らん顔に素通りして、後《あと》から宿屋の者を取りに遣る。ぐずぐずいったら査公《おまわり》に持って来て貰うさ」
「そうじゃそうじゃ」と評議一決。やがて黒羽町に入込《いりこ》むと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような宿屋が一軒、簷《のき》先には△△屋と記してある。
「これだな」と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店内《みせうち》を眺めると、有るわ有るわ、天幕《てんと》、写真器械、雑嚢《ざつのう》など、一行の荷物は店頭に堆高《うずたか》く積んである。宝の山に入りながらではないが、我が荷物ながらオイ遣《よこ》せと持出す訳にも行かず、知らぬ顔に一、二町スタスタ行き過ぎると、忽《たちま》ち背後《うしろ》からオーイオーイと呼ぶ者がある。振返ってみると、なるほど、梅ヶ谷のような大女《おおおんな》、顔を真白《まっしろ》に塗立てた人《じん》三|化《ばけ》七が、頻《しき》りに手招きしながら追っ掛けて来る。
「ソラ来た」というので、一同ワッと逃げ出す。その速い事! 今までの足の重さもどこへやら、五、六町|韋駄天《いだてん》走りに逃げ延びて、フウフウ息を切らしながら再び振返ってみると、これはしたり、一行中の杉田子は、件《くだん》の大女に掴《つか》まって何か談判最中。救助隊を出さねばなるまいという者もあったが、ナァニあの先生が捕虜になる気遣いはないと、一同は一足お先に那珂川《なかがわ》に架けたる橋を渡り、河畔の景色《けいしょく》佳《よ》き花月|旅店《りょてん》に着いて待っていると、間《ま》もなく杉田先生得意満面、一行の荷物を腕車《わんしゃ》に満載してやって来た。聴けば、杉田先生はお年寄役だけに、三十六計の奥の手も余り穏かならじとあって、単身踏み留《とど》まり、なんとかかんとか胡魔化《ごまか》して、荷物をことごとく巻上げて来たとの事だ。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎よりも大手柄大手柄。
黒羽の宿屋で久し振りのビール一杯。ペコペコに減った腹に鰻飯《うなぎめし》! その旨《うま》かった事! 咽《のど》から手が出て蒲焼きを引摺《ひきず》り込むかと思われた。
翌日《あす》は茫漠たる那須野《なすの》ヶ|原《はら》を横断して西那須野|停車場《ステーション》。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。横断隊は未醒子、髯将軍、衣水子、木川子、これから日本海沿岸まで山中の突貫旅行をやるのである。
小山《おやま》駅で水戸の三人武者とも別れて、後《あと》はただ一人、俄《にわ》かに淋《さび》しくなれば数日以来の疲労も格段に覚えて、吾輩は日光の鮮かに照《てら》す汽車の窓から遠近《おちこち》の景色を眺めていると、吾輩に向い合って腰掛けていたのは頬骨の高いハイカラ紳士、物もいわず猿臂《えんび》を伸ばして、吾輩が外を眺めている車窓の日除け扉《ど》を閉ざす。これは怪《け》しからん奴じゃ、他《ひと》の領分の扉を無断で閉ざす奴があるものかと、吾輩は用捨なくすぐに開けると、暫時《しばらく》してまたノコノコ手を伸ばして閉める。
「何をする」と呶鳴《どな》り付けると、
「日が射して困る」と、ハンカチーフなんかで鼻の頭を撫でている。
「馬鹿をいうな、太陽《おてんとう》様《さま》は結構じゃ」と、吾輩は遠慮会釈もなく再び扉を開け、今度は閉められぬようにと窓の上に肘《ひじ》を凭《もた》せて頑張っていると、これには流石《さすが》のハイカラ先生も閉口し、ブツブツいいながら日の当らぬ方へと退却に及んだ。こんな奴は自分で自分の身体《からだ》を弱くしようしようと掛かっている馬鹿者と見える。太陽の光線《ひかり》に当るのが左程《さほど》恐《こわ》ければ、来生《らいせい》は土鼠《もぐらもち》にでも生れ変って来るがいい。日陰の唐茄子《とうなす》の萎《しな》びているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒虫《どくちゅう》にでも襲われたように周章《あわ》てて窓を閉ざして得意でいる。事《こと》小《しょう》なりと雖《いえど》も、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光線《ひかり》がなんでそんなに恐《こわ》いのだ。現代の所謂《いわゆる》ハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴は終《つい》には亡国の種を播《ま》く糞虫《くそむし》となるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、須《すべか》らく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾身《こんしん》に吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまで癪《しゃく》の種も尽きぬ旅行であったわい。
[#ここから3字下げ]
付記。吾輩の今回の旅行はこれで終ったが、横断隊は勇気|勃々《ぼつぼつ》として突貫旅行を続けている。髯将軍と衣水子の快筆は、未醒子の漫画、木川子の写真と共に、必ず痛快に本誌の次号を飾るであろう。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「〔天狗倶楽部〕快傑伝 ――元気と正義の男たち――」朝日ソノラマ
1993(平成5)年8月30日第1刷発行
底本の親本:「本州横断 癇癪徒歩旅行」雑誌<冒険世界>、博文館
1911(明治44)年9月号掲載
※旧字「彌」「嶽」「疊」の使用は、底本通りです。
入力:H.KoBaYaShi
校正:伊藤時也
1999年11月30日公開
2009年9月16日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
押川 春浪 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング