にでも生れ変って来るがいい。日陰の唐茄子《とうなす》の萎《しな》びているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒虫《どくちゅう》にでも襲われたように周章《あわ》てて窓を閉ざして得意でいる。事《こと》小《しょう》なりと雖《いえど》も、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光線《ひかり》がなんでそんなに恐《こわ》いのだ。現代の所謂《いわゆる》ハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴は終《つい》には亡国の種を播《ま》く糞虫《くそむし》となるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、須《すべか》らく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾身《こんしん》に吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまで癪《しゃく》の種も尽きぬ旅行であったわい。
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