性もまた桂内閣お得意の産物なるか、咄《とつ》!

    (四)変な駄洒落《だじゃれ》

 憤慨ばかりが能ではあるまいから、一つ汽車中の駄洒落を御愛嬌《ごあいきょう》に記そう。
 元来、今回の横断旅行は、出発地を太平洋|波打際《なみうちぎわ》の大洗《おおあらい》にしようか、大洗水戸間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしようかという事は未定問題であったので、吾輩は大洗説を主張し、
「今夜は大洗に一泊して、沖合の夜釣をやってみようではないか」と、提議すれば、未醒子羅漢|面《づら》の眉を揚げて、
「途方もない。この風雨《しけ》に夜釣なんか出来るものか。魚は釣れず、濡鼠《ぬれねずみ》になって、大洗(大笑い)になるまでさ」と洒落のめす。吾輩も負けてはおらず、
「そんな洒落は未醒(未製)品じゃ」
「ドッコイ、来たな、駄洒落は止しに春浪《しゅんろう》」
 側《かたわら》から吉岡信敬将軍、髯面《ひげづら》を突出《つきだ》して、
「とにかく夜釣は危《あぶな》い危い。横断旅行が海底旅行になっては大変じゃ」
「ナアニ、危いもんか。そう信敬(神経)を起すな」
「アハハハ、アハハハ」と、一同は笑い崩れる。
 その内に汽車は水戸に到着、停車場《ステーション》前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する。芝原《しばはら》広く、梅樹《ばいじゅ》雅趣を帯びて、春はさこそと思われる。時刻は既に遅かったので、有名な好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜|忽然《こつぜん》として薨去《こうきょ》された処《ところ》で、その薨去が余り急激であったため、一時は井伊掃部頭《いいかもんのかみ》の刺客の業だと噂されたという事だ。

    (五)懦弱《だじゃく》千万

 大洗《おおあらい》までの無駄足は止《よ》しにして、水戸から発足と決定した。というのは、翌日は行程十五里、山間の大子《だいご》駅まで辿り着いておかねば、その次の日、予定のごとく八溝山《やみぞやま》の絶頂へ達する事は極めて困難であるからだ。その夜は座《すわり》相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝栗毛《ひざくりげ》に鞭打って、我が一行に馳《は》せ加わった三勇士がある。水戸の有志家|杉田恭介《すぎたきょうすけ》君、川又英《かわまたえい》君、及び水戸中学出身の津川五郎《つがわごろう》君で、孰《いず》
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