ぬ。ボンヤリしているのも智恵がないから、不忍《しのばず》の池の溢れた水中をジャブジャブ漕いで、納涼博覧会などを見物し、折から号外号外の声|消魂《けたたま》しく、今にも東都全市街水中に葬られるかのように人を嚇《おどか》す号外を見ながら、午前十一時五十五分、今度は首尾よく上野出発。この時から常陸《ひたち》山中の大子《だいご》駅に至るまでの間の事は、既に日曜画報にも簡単に書いたので、日曜画報を見た諸君には、多少重複する点のある事は、御勘弁を願いたい。
 汽車の旅行は平々凡々、未醒子ははや居眠りを始める。
「コラコラ、今から居眠りをするようでは駄目じゃッ」と、髯将軍の銅鑼《どら》声はまず車中の荒肝《あらぎも》を拉《ひし》ぐ。
 汽車、利根川の鉄橋に差し掛かれば、雨はますます激しく、ただ見る、河水は氾濫《はんらん》して両岸湖水のごとく、濁流|滔々《とうとう》田畑《でんばた》を荒し回り、今にも押流されそうな人家も数軒見える。遭難者の身にとっては堪《たま》ったものではない。禿《はげ》頭に捩《ね》じ鉢巻で、血眼になって家財道具を運ぶ老爺《おやじ》もあれば、尻も臍《へそ》もあらわに着物を掀《まく》り上げ、濁流中で狂気《きちがい》のように立騒いでいる女も見える。融通の利かぬ巡査でも見付けたら、こんな場合でも用捨《ようしゃ》なく風俗壊乱の罪に問うかも知れぬが、今は尻や臍の問題ではない、生命《いのち》の問題である。近来、殆んど連年かかる悲惨なる目に遭い、その上|苛税《かぜい》の誅求《ちゅうきゅう》を受けるこの辺《へん》の住民は禍《わざわ》いなるかな。天公|桂《かつら》内閣の暴政を怒《いか》るか、天災地変は年一年|甚《はなはだ》しくなる。国家のため実に寒心に堪えぬ次第ではないか。
 しかるに、走り行く此方《こなた》の車内では、税務署か小林区《しょうりんく》署の小役人らしき気障《きざ》男、洪水に悩める女の有様などを面白そうに打《うち》眺めつつ、隣席の連れと覚《お》ぼしき薄髭の痩男に向い、
「どうです、一句出ましたぜ、洪水に女の股《もも》の白きかな――ハッ、ハッ、いかがでげす」などと、嘔吐《へど》のごとき醜句《しゅうく》を吐き出せば、側《かたわら》の痩男は小首を捻《ひね》って、
「なるほどな、秀逸でげす」などと相槌《あいづち》を打つ。同胞の難儀を難儀とも思わぬ困った奴らである。こんな冷酷な役人根
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