づけば船の動揺はなお止まず、余はある時間の間気絶せる後、またもや打ち寄する巨浪《おおなみ》のために、船は激しく傾き、一方より一方にまろんで頭を打ち、今ようやく息を吹返せるなり、他人が余の頭を打ちしにあらず、余自ら頭を打ちつけしなり、とにもかくにも起きあがってその辺を捜りまわるに、何時の間にか海水は浸入して、余の全身は濡鼠のごとくなりいたり、船底より浸水せしものか、それとも、甲板の昇降口より波打込みしものか分らねど、何しろこの海水のために余の身辺の燈火《ともしび》は消えて四方は真暗く、ただ船内ズット船尾の方に高く掲げられたる一個の船燈のみが、消えなんとしていまだ消えず、薄気味悪き青光をかすかに洩すのみ、時刻も分らず場所も分らず、時計を出して見るに、その針はすでに停まりいたり、余の時計は二日|持《もち》にて、かの悲劇の起る二三時間前に龍頭を巻きたれば、この時計の停まるを見ても余は気絶せるまま少なくも二日以上を過せるものと知らる、それにしても彼の海賊等はいかにせしかと、余は静かに立ちあがって耳を澄ますに、船外には相変らず風荒れ波吼ゆるのみ、されど人声とては少しも聴えざりけり。
 余は気味悪さにたえず、何時までも船底に潜みおらんかと思いしが、さりとて海賊等がいかになりしかを知らぬうちは安心できず、ついに意を決し、抜足差足して昇降口の方に向えり、梯子を半ば昇りて耳を澄ますにやはり人声は聴えず、心づけば先刻海賊等が開きかけし蓋《おおい》は、何時の間にか以前のごとく閉ざされてあり、思うに海賊が半ばその蓋《おおい》を引き上げし時、彼の意外なる大震動のために思わずその手を放し、蓋《おおい》はふたたび落ちて以前のごとく昇降口を閉ざせしならん、されど海賊が鉄槌にて打ち砕きし入口の破れ目はそのままにて、そこより海水は船内に打ち込みしなり、鉄の欄干《てすり》も梯子も皆濡れて、油断をすれば余は滑り落ちんとす、今はやや海上静まりしと見え、怒濤の破れ目より打込むような事はなけれど、決して暴風《あらし》のやみしにあらず、船の動揺はなかなか激しくして、時々甲板上に巨浪《おおなみ》の落来る音聴ゆ。
 梯子の中段に立ち止まって余は耳を澄ます事|少時《しばし》、ここより上に昇るべきか昇るまじきか、甲板上になお海賊おらば、余はただちに殺されん、されど甲板上の光景を見ぬうちはどうも安心できず、余はついに意を決し、殺さるる覚悟にてふたたび昇り始めぬ。
 梯子を昇りつくし、それでもなるべく音の立たぬよう昇降口の蓋《おおい》を開き、じつに恐る恐る半身を突出して甲板上の光景を眺めしが、オオ! オオ! オオ! なんたる甲板上の光景ぞや、余は生れて以来、かくのごとく意外なる光景を見し事なし、定めて甲板上には船員の死屍散乱し、海賊等はなお猛威を振いおる事と思いしに、余の予想はまったく反せり、甲板上は寂寞としてほとんど何物もなし、海賊もおらねば船員の死骸もなし、余はあまりの事に驚きかつ怪しみ、ただちに甲板上に跳り出でてなおよく見るに、甲板上のあらゆる物は破壊され、船員の死骸などは洗去られしものならん、今は血一滴も残りおらず、そのうえ羅針盤は砕かれ、船上にありし二個の端舟《ボート》も海中に呑み込まれ、船首の方に立ちたりし船長室も、そのままどこにか持ち行かれしものならん、影も形もなく、この船は元来三本の檣《ほばしら》を備えしものなるが、その二本はなかほどより折れて、これまた帆とともに行方を知らず、広漠たる船上に残るはただ一本の大檣《たいしょう》のみ、この大檣は甲板の中部にあり、檣上より一面に張られたる帆は、すでにその三分の一以上破れたれど、ものすごき疾風を受けて、船の走る事矢のごとし、余はただ一面の帆にて何故《なにゆえ》に船がかくまで速く走るやを知らず、なに心なく大檣《たいしょう》のそばに近づかんとせしが、フト見ればその大檣《たいしょう》の下には、一個の恐ろしき人間立てり、余は思わず逃げ出したり、逃げながら振返って見るに、彼の人間は余を追わんともせず、依然として身動きもせず立ちしままなり、ハテ不思議なる事かなと、臆病なる余も足を停めてなおよく見れば、追わぬはずなり身動きもせぬはずなり、彼はすでに死して首をガックリ垂れおるにて、その服装より見れば海賊の巨魁《きょかい》ならん、剣を甲板上に投げ棄て、大檣《たいしょう》にその身を厳しく縛りつけいたり、実に合点の行かぬ事ながら、しばらく考えて余はハハアと頷きたり、思うに余が気絶せし瞬間船に大震動を来せしは、海底噴火山の破裂のため、驚くべき巨浪《きょろう》が船上に落来りしか、しからずば船が大龍巻にでも巻き込まれ、甲板上の海賊等は、余を殺すより先に自分等の身が危くなり、一同驚き騒ぐ間に、彼の男は海賊の巨魁だけに素早くその身を大檣に縛りつけ、巨浪に持ち行か
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