、殺さるる覚悟にてふたたび昇り始めぬ。
 梯子を昇りつくし、それでもなるべく音の立たぬよう昇降口の蓋《おおい》を開き、じつに恐る恐る半身を突出して甲板上の光景を眺めしが、オオ! オオ! オオ! なんたる甲板上の光景ぞや、余は生れて以来、かくのごとく意外なる光景を見し事なし、定めて甲板上には船員の死屍散乱し、海賊等はなお猛威を振いおる事と思いしに、余の予想はまったく反せり、甲板上は寂寞としてほとんど何物もなし、海賊もおらねば船員の死骸もなし、余はあまりの事に驚きかつ怪しみ、ただちに甲板上に跳り出でてなおよく見るに、甲板上のあらゆる物は破壊され、船員の死骸などは洗去られしものならん、今は血一滴も残りおらず、そのうえ羅針盤は砕かれ、船上にありし二個の端舟《ボート》も海中に呑み込まれ、船首の方に立ちたりし船長室も、そのままどこにか持ち行かれしものならん、影も形もなく、この船は元来三本の檣《ほばしら》を備えしものなるが、その二本はなかほどより折れて、これまた帆とともに行方を知らず、広漠たる船上に残るはただ一本の大檣《たいしょう》のみ、この大檣は甲板の中部にあり、檣上より一面に張られたる帆は、すでにその三分の一以上破れたれど、ものすごき疾風を受けて、船の走る事矢のごとし、余はただ一面の帆にて何故《なにゆえ》に船がかくまで速く走るやを知らず、なに心なく大檣《たいしょう》のそばに近づかんとせしが、フト見ればその大檣《たいしょう》の下には、一個の恐ろしき人間立てり、余は思わず逃げ出したり、逃げながら振返って見るに、彼の人間は余を追わんともせず、依然として身動きもせず立ちしままなり、ハテ不思議なる事かなと、臆病なる余も足を停めてなおよく見れば、追わぬはずなり身動きもせぬはずなり、彼はすでに死して首をガックリ垂れおるにて、その服装より見れば海賊の巨魁《きょかい》ならん、剣を甲板上に投げ棄て、大檣《たいしょう》にその身を厳しく縛りつけいたり、実に合点の行かぬ事ながら、しばらく考えて余はハハアと頷きたり、思うに余が気絶せし瞬間船に大震動を来せしは、海底噴火山の破裂のため、驚くべき巨浪《きょろう》が船上に落来りしか、しからずば船が大龍巻にでも巻き込まれ、甲板上の海賊等は、余を殺すより先に自分等の身が危くなり、一同驚き騒ぐ間に、彼の男は海賊の巨魁だけに素早くその身を大檣に縛りつけ、巨浪に持ち行か
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