もうお皈《かへ》りにはならないのですか。』と母君《はゝぎみ》の纎手《て》に依《よ》りすがると春枝夫人《はるえふじん》は凛々《りゝ》しとはいひ、女心《をんなごゝろ》のそゞろに哀《あはれ》を催《もよほ》して、愁然《しゆうぜん》と見送《みおく》る良人《をつと》の行方《ゆくかた》、月《つき》は白晝《まひる》のやうに明《あきらか》だが、小蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《こじようきせん》の形《かたち》は次第々々《しだい/\》に朧《おぼろ》になつて、殘《のこ》る煙《けむり》のみぞ長《なが》き名殘《なごり》を留《とゞ》めた。
『夫人《おくさん》、すこし、甲板《デツキ》の上《うへ》でも逍遙《さんぽ》して見《み》ませうか。』と私《わたくし》は二人《ふたり》を誘《いざな》つた。かく氣《き》の沈《しづ》んで居《を》る時《とき》には、賑《にぎ》はしき光景《くわうけい》にても眺《なが》めなば、幾分《いくぶん》か心《こゝろ》を慰《なぐさ》むる因《よすが》ともならんと考《かんが》へたので、私《わたくし》は兩人《ふたり》を引連《ひきつ》れて、此時《このとき》一|番《ばん》に賑《にぎ》はしく見《み》え
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