年《ひでをせうねん》は急《きふ》に歩《あゆみ》を停《とゞ》めて
『あら、あの音《おと》は?。』と眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
『音《おと》?。』と私《わたくし》も思《おも》はず立止《たちどま》つて耳《みゝ》を濟《すま》すと、風《かぜ》が傳《も》て來《く》る一種《いつしゆ》の響《ひゞき》。全《まつた》く無人島《むじんたう》と思《おも》ひきや、何處《いづく》ともなく、トン、トン、カン、カン、と恰《あだか》も谷《たに》の底《そこ》の底《そこ》で、鐵《てつ》と鐵《てつ》とが戞合《かちあ》つて居《を》るやうな響《ひゞき》。
『鐵槌《てつつい》の音《おと》!。』と私《わたくし》は小首《こくび》を傾《かたむ》けた。此樣《こん》な孤島《はなれしま》に鍛冶屋《かぢや》などのあらう筈《はづ》はない、一時《いちじ》は心《こゝろ》の迷《まよひ》かと思《おも》つたが、决《けつ》して心《こゝろ》の迷《まよひ》ではなく、寂莫《じやくばく》たる空《そら》にひゞひて、トン、カン、トン、カンと物凄《ものすご》い最早《もはや》疑《うたが》はれぬ。けれど私《わたくし》は心付《こゝろつ》くと、響《ひゞき》の源《みなもと》は决《けつ》して近《ちか》い所《ところ》ではなく、四邊《あたり》がシーンとして居《を》るので斯《か》く鮮《あざや》かに聽《きこ》えるものゝ、少《すくな》くも三四|哩《マイル》の距離《へだゝり》は有《あ》るだらう、何《なに》は兎《か》もあれ斯《かゝ》る物音《ものおと》の聽《きこ》ゆる以上《いじやう》は、其處《そこ》に何者《なにもの》かゞ居《を》るに相違《さうゐ》ない、人《ひと》か、魔性《ましやう》か、其樣《そん》な事《こと》は考《かんが》へて居《を》[#ルビの「を」は底本では「をら」]られぬ、兎《と》に角《かく》探險《たんけん》と覺悟《かくご》したので、そろ/\と丘《をか》を下《くだ》つた。丘《をか》を下《くだ》つて耳《みゝ》を澄《すま》すと、響《ひゞき》は何《な》んでも、島《しま》の西南《せいなん》に當《あた》つて一個《ひとつ》の巨大《おほき》な岬《みさき》がある、其《その》岬《みさき》を越《こ》えての彼方《かなた》らしい。
いよ/\探險《たんけん》とは决心《けつしん》したものゝ、實《じつ》は薄《うす》氣味惡《きみわる》い事《こと》で、一體《いつたい》物音《ものおと》の主《ぬし》も分《わか》らず、また行《ゆ》く道《みち》にはどんな災難《さいなん》が生《しやう》ずるかも分《わか》らぬので、私《わたくし》は萬一《まんいち》の塲合《ばあひ》を慮《おもんぱか》つて、例《れい》の端艇《たんてい》をば波打際《なみうちぎわ》にシカと繋止《つなぎと》め、何時《いつ》危險《きけん》に遭遇《さうぐう》して遁《に》げて來《き》ても、一見《いつけん》して其《その》所在《しよざい》が分《わか》るやうに、其處《そこ》には私《わたくし》の白《しろ》シヤツを裂《さ》いて目標《めじるし》を立《た》て、勢《いきほひ》を込《こ》めて少年《せうねん》と共《とも》に發足《ほつそく》した。
海岸《かいがん》に沿《そ》ふて行《ゆ》く事《こと》七八|町《ちやう》、岩層《がんそう》の小高《こだか》い丘《をか》がある、其《その》丘《をか》を越《こ》ゆると、今迄《いまゝで》見《み》えた海《うみ》の景色《けしき》も全《まつた》く見《み》えずなつて、波《なみ》の音《おと》も次第《しだい》/\に遠《とう》く/\。
此時《このとき》少年《せうねん》は餘程《よほど》疲勞《つか》れて見《み》えるので、私《わたくし》は肩車《かたぐるま》に乘《の》せて進《すゝ》んだ。誰《だれ》でも左樣《さう》だが、餘《あま》りにシーンとした處《ところ》では、自分《じぶん》の足音《あしおと》さへ物凄《ものすご》い程《ほど》で、とても談話《はなし》などの出來《でき》るものでない。斯《かゝ》る島《しま》の事《こと》とて、路《みち》などのあらう筈《はづ》はなく、熊笹《くまざゝ》の間《あひだ》を掻分《かきわ》けたり、幾百千年《いくひやくせんねん》來《らい》積《つも》り積《つも》つて、恰《あだか》も小山《こやま》のやうになつて居《を》る落葉《おちば》の上《うへ》を踏《ふ》んだり、また南半球《みなみはんきゆう》に特有《とくいう》の黄乳樹《わうにうじゆ》とて、稍《こずえ》にのみ一團《いちだん》の葉《は》があつて、幹《みき》は丁度《ちやうど》天幕《てんまく》の柱《はしら》のやうに、數百間《すうひやくけん》四方《しほう》規則正《きそくたゞ》しく並《なら》んで居《を》る奇妙《きめう》な林《はやし》の下《した》を※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]《くゞ》つたりして、道《みち》の一里半《いちりはん》も歩《あゆ
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