となく薄淋《うすさび》しくなつた浪《なみ》の面《おも》を眺《なが》めながら、胸《むね》の鏡《かゞみ》に手《て》を措《を》くと、今度《こんど》の航海《かうかい》は初《はじめ》から、不運《ふうん》の神《かみ》が我等《われら》の身《み》に跟尾《つきまと》つて居《を》つた樣《やう》だ。出港《しゆつかう》のみぎり白色檣燈《はくしよくしやうとう》の碎《くだ》けた事《こと》、メシナ海峽《かいきよう》で、一人《ひとり》の船客《せんきやく》が海《うみ》に溺《おぼ》れた事等《ことなど》、恰《あだか》も天《てん》に意《こゝろ》あつて、今回《こんくわい》の危難《きなん》を豫知《よち》せしめた樣《やう》である。イヤ其樣《そん》な無※[#「(禾+尤)/上/日」、116−2]《ばか》な事《こと》もあるまいが、子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]の埠頭《はとば》で、亞尼《アンニー》が泣《な》いて語《かた》つた事《こと》は、不思議《ふしぎ》にも的中《てきちう》した。勿論《もちろん》、魔《ま》の日《ひ》魔《ま》の刻《こく》の因縁《いんねん》などは信《しん》ぜられぬが、老女《らうじよ》が最後《さいご》の一言《いちごん》、『弦月丸《げんげつまる》には、珍《めづ》らしく澤山《たくさん》の黄金《わうごん》と眞珠《しんじゆ》とが搭載《とうさい》されて居《ゐ》ます、眞珠《しんじゆ》と黄金《わうごん》とが夥《おびたゞ》しく海上《かいじやう》で[#「海上《かいじやう》で」は底本では「海上《かいじやう》て」]集合《あつまる》と屹度《きつと》恐《おそ》る可《べ》き祟《たゝり》があります。』との豫言《よげん》は、偶然《ぐうぜん》にも其通《そのとう》りになつて、是等《これら》の寳物《たからもの》があつたばかりに、昨夜《さくや》は印度洋《インドやう》の惡魔《あくま》と世《よ》にも恐《おそ》る可《べ》き大海賊《だいかいぞく》の襲撃《しうげき》を蒙《かうむ》り、船《ふね》は沈《しづ》み、夫人《ふじん》は行衞《ゆくえ》を失《うしな》ひ、吾等《われら》も何時《いつ》救《すく》はるゝといふ目的《めあて》もなく、浪《なみ》に揉《も》まるゝ泡沫《うたかた》のあはれ果敢《はかな》き運命《うんめい》とはなつた。斯《か》う考《かんが》へると益々《ます/\》氣《き》が沈《しづ》んで、生《いき》た心地《こゝち》もしなかつた。
此時《このとき》、太陽《たいよう》は雲間《くもま》を洩《も》れて赫々《かく/\》たる光《ひかり》を射出《いゝだ》した。
日出雄少年《ひでをせうねん》は頑是《ぐわんぜ》なき少年《せうねん》の常《つね》とてかゝる境遇《きやうぐう》に落《お》ちても、昨夜《さくや》以來《いらい》の疲勞《つかれ》には堪兼《たへか》ねて、私《わたくし》の膝《ひざ》に凭《もた》れた儘《まゝ》、スヤ/\と眠《ねむ》りかけたが、忽《たちま》ち可憐《かれん》の唇《くちびる》を洩《も》れて夢《ゆめ》の聲《こゑ》
『あゝ、おつかさん/\、貴女《あなた》は私《わたくし》を捨《す》てゝ何處《どこ》へいらつしやるの――オ、オ、子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]の街《まち》と富士山《ふじさん》との間《あひだ》に、ま、ま、奇麗《きれい》な橋《はし》が――オヤ、おとつさんが私《わたくし》の名《な》を呼《よ》んでいらつしやるよ。』と少年《せうねん》は、今《いま》は夢《ゆめ》の間《ま》、懷《なつ》かしき父君《ちゝぎみ》母君《はゝぎみ》に出逢《であ》つて居《を》るのである。
あゝ、彼《かれ》が最愛《さいあい》の父《ちゝ》濱島武文《はまじまたけぶみ》は、遙《はるか》なる子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]で、今《いま》は如何《いか》なる夢《ゆめ》を結《むす》んで居《を》るだらう、少年《せうねん》が夢《ゆめ》にもかく戀《こ》ひ慕《した》ふ母君《はゝぎみ》の春枝夫人《はるえふじん》は、昨夜《さくや》海《うみ》に落《お》ちて、遂《つひ》に其《その》行方《ゆくかた》を失《うしな》つたが、若《も》し天《てん》に非常《ひじやう》の惠《めぐみ》があるならば萬《まん》に一つ無事《ぶじ》に救《すく》はれぬとも限《かぎ》らぬが、其儘《そのまゝ》海《うみ》の藻屑《もくづ》と消《き》えて、其《その》魂《たましひ》が天《てん》に歸《かへ》つたものならば、此後《このゝち》吾等《われら》は運命《うんめい》よく無事《ぶじ》に助《たす》かる事《こと》があらうとも、日出雄少年《ひでをせうねん》は夢《ゆめ》の他《ほか》は、またと懷《なつ》かしき母君《はゝぎみ》の顏《かほ》を見《み》る事《こと》が出來《でき》ぬであらう、斯《か》う考《かんが》へると、私《わたくし》は無限《むげん》に哀《かな》しくなつて、はふり落《お》つる涙《なみだ》が日出雄少年《ひでをせうねん》の顏《かほ》
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