《さは》いで居《を》つたが、丁度《ちやうど》其時《そのとき》船橋《せんけう》の上《うへ》で、無法《むはふ》に水夫等《すゐふら》を叱付《しかりつ》けて居《を》つた人相《にんさう》の惡《わる》い船長《せんちやう》の帽子《ぼうし》を、其《その》鳶糸《たこいと》で跳飛《はねと》ばしたので、船長《せんちやう》は元來《ぐわんらい》非常《ひじやう》に小八釜《こやかま》しい男《をとこ》、眞赤《まつか》になつて此方《こなた》に向直《むきなほ》つたが、あまりに無邪氣《むじやき》なる日出雄少年《ひでをせうねん》の姿《すがた》を見《み》ては流石《さすが》に怒鳴《どな》る事《こと》も出來《でき》ず、ぐと/″\口《くち》の中《うち》で呟《つぶや》きながら、其《その》ビール樽《だる》のやうな身體《からだ》を轉《まろ》ばして、帽子《ぼうし》の後《あと》を追《お》ひかけた話《はなし》など、いろ/\變《かは》つた事《こと》もあるが、餘《あま》り管々《くだ/″\》しくは記《しる》すまい。
かくて吾等《われら》の運命《うんめい》を托《たく》する弦月丸《げんげつまる》は、アデン[#「アデン」に二重傍線]灣《わん》を出《い》でゝ印度洋《インドやう》の荒浪《あらなみ》へと進入《すゝみい》つた。

    第六回 星火榴彈《せいくわりうだん》
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難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な三個の船燈――海幽靈め――其眼が怪しい
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 荒浪《あらなみ》高《たか》き印度洋《インドやう》に進航《すゝみい》つてからも、一日《いちにち》、二日《ふつか》、三日《みつか》、四日《よつか》、と日《ひ》は暮《く》れ、夜《よ》は明《あ》けて、五日目《いつかめ》までは何事《なにごと》もなく※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、71−12]去《すぎさ》つたが、其《その》六日目《むいかめ》の夜《よる》とはなつた。私《わたくし》は夕食後《ゆふしよくご》例《いつも》のやうに食堂《しよくだう》上部《じやうぶ》の美麗《びれい》なる談話室《だんわしつ》に出《い》でゝ、春枝夫人《はるえふじん》に面會《めんくわい》し、日出雄少年《ひでをせうねん》には甲比丹《カピテン》クツク[#「クツク」に傍線]の冐瞼旅行譚《ぼうけんりよかうだん》や、加藤清正《かとうきよまさ》の武勇傳《ぶゆうでん》や、また私《わたくし》がこれ迄《まで》の漫遊中《まんゆうちう》の失策談《しつさくばなし》などを語《かた》つて聽《き》かせて、相變《あひかは》らず夜《よ》を更《ふ》かしたので、夫人《ふじん》と少年《せうねん》をば其《その》船室《ケビン》に送《おく》り込《こ》み、明朝《めうてう》を約《やく》して其處《そこ》を去《さ》つた。
印度洋《インドやう》中《ちう》の氣※[#「候」の「ユ」に代えて「工」、72−6]《きかう》程《ほど》變化《へんくわ》の激《はげ》しいものはない、今《いま》は五|月《ぐわつ》の中旬《ちうじゆん》、凉《すゞ》しい時《とき》は實《じつ》に心地《こゝち》よき程《ほど》凉《すゞ》しいが、暑《あつ》い時《とき》は日本《につぽん》の暑中《しよちう》よりも一|層《そう》暑《あつ》いのである。殊《こと》に今宵《こよひ》は密雲《みつうん》厚《あつ》く天《てん》を蔽《おほ》ひ、四|邊《へん》の空氣《くうき》は變《へん》に重々《おも/\》しく、丁度《ちやうど》釜中《ふちう》にあつて蒸《む》されるやうに感《かん》じたので、此儘《このまゝ》船室《ケビン》に歸《かへ》つたとて、迚《とて》も安眠《あんみん》は出來《でき》まいと考《かんが》へたので、喫煙室《スモーキングルーム》に行《ゆ》かんか、其處《そこ》も暑《あつ》し、寧《むし》ろ好奇《ものずき》ではあるが暗夜《あんや》の甲板《かんぱん》に出《い》でゝ、暫時《しばし》新鮮《しんせん》の風《かぜ》に吹《ふ》かれんと私《わたくし》は唯《たゞ》一人《ひとり》で後部甲板《こうぶかんぱん》に出《で》た。此時《このとき》時計《とけい》の針《はり》は既《すで》に十一|時《じ》を廻《めぐ》つて居《を》つたので、廣漠《くわうばく》たる甲板《かんぱん》の上《うへ》には、當番《たうばん》水夫《すゐふ》の他《ほか》は一|個《こ》の人影《ひとかげ》も無《な》かつた、船《ふね》は今《いま》、右舷《うげん》左舷《さげん》に印度洋《インドやう》の狂瀾《きやうらん》怒濤《どたう》を分《わ》けて北緯《ほくゐ》十|度《ど》の邊《へん》を進航《しんかう》して居《を》るのである。ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]港《かう》を出《い》づる時《とき》には笑《え》めるが如《ごと》き月《つき》の光《ひかり》は鮮明《あざやか》に此《この》甲板《かんぱん》を照《てら》して居《を》つたが、今《
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