をよせて倩々《つら/\》と考《かんが》へた。昨日《きのふ》までは經廻《へめぐ》る旅路《たび》の幾《いく》千|里《り》、憂《う》き時《とき》も樂《たの》しき時《とき》も語《かた》らふ人《ひと》とては一人《ひとり》もなく、晨《あした》に明星《めうぜう》の清《すゞ》しき光《ひかり》を望《のぞ》み、夕《ゆふべ》に晩照《ゆふやけ》の華美《はなやか》なる景色《けしき》を眺《なが》むるにも只《たゞ》一人《ひとり》、吾《われ》と吾心《わがこゝろ》を慰《なぐさ》むるのみであつたが、昨日《きのふ》は圖《はか》らずも天外《てんぐわい》萬里《ばんり》の地《ち》で我《わが》同胞《どうほう》にめぐり逢《あ》ひ、恰《あだか》も天《てん》のなせるが如《ごと》き奇縁《きえん》にて今《いま》は優美《やさし》き春枝夫人《はるえふじん》、可憐《かれん》なる日出雄少年等《ひでをせうねんら》と同《おな》じ船《ふね》に乘《の》り同《おな》じ故國《ふるさと》に皈《かへ》るとは何《なに》たる幸福《しあはせ》であらう。今度《こんど》此《この》弦月丸《げんげつまる》の航海《かうかい》には乘客《じやうきやく》の數《かず》は五百|人《にん》に近《ちか》く船員《せんゐん》を合《あは》せると七百|人《にん》以上《いじやう》の乘組《のりくみ》であるが、其中《そのなか》で日本人《につぽんじん》といふのは夫人《ふじん》と少年《せうねん》と私《わたくし》との三|名《めい》のみ、此《この》不思議《ふしぎ》なる縁《えん》に結《むす》ばれし三人《みたり》は之《これ》から海原《うなばら》遠《とほ》く幾千里《いくせんり》、ひとしく此《この》船《ふね》に運命《うんめい》を托《たく》して居《を》るのであるが、若《も》し天《てん》に冥加《めうが》といふものが在《あ》るならば近《ちか》きに印度洋《インドやう》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60−3]《すぐ》る時《とき》も支那海《シナかい》を行《ゆ》く時《とき》にも、今日《けふ》の如《ごと》く浪路《なみぢ》穩《おだや》かに、頓《やが》て相《あひ》共《とも》に※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60−4]去《くわこ》の平安《へいあん》を祝《いは》ひつゝ芙蓉《ふよう》の峯《みね》を仰《あふ》ぐ事《こと》が出來《でき》るやうにと只管《ひたすら》天《てん》に祈《いの》るの他《ほか》はな
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