う》は宛然《えんぜん》たる畫中《ぐわちゆう》の景《けい》で、すでに水平線上《すゐへいせんじやう》に高《たか》く昇《のぼ》つた太陽《たいよう》は燦爛《さんらん》たる光《ひかり》を水《みづ》に落《おと》して金波《きんぱ》洋々《やう/\》たる海《うみ》の面《おも》には白帆《はくはん》の影《かげ》一|點《てん》二|點《てん》、其《その》間《あひだ》を海鴎《かいおう》の長閑《のどか》に群《むらが》り飛《と》んで居《を》る有樣《ありさま》などは自然《しぜん》に氣《き》も心《こゝろ》も爽《さはや》かになる程《ほど》で、私《わたくし》は昨夕《ゆふべ》以來《いらい》のさま/″\の不快《ふくわい》の出來事《できごと》をば洗《あら》ひ去《さ》つた樣《やう》に忘《わす》れてしまつた。春枝夫人《はるえふじん》もいと晴々《はれ/″\》しき顏色《がんしよく》で、そよ/\と吹《ふ》く南《みなみ》の風《かぜ》に鬢《びん》のほつれ毛《げ》を拂《はら》はせながら餘念《よねん》もなく海上《かいじやう》を眺《なが》めて居《を》る。日出雄少年《ひでをせうねん》は特更《ことさら》に子供心《こどもごゝろ》の愉快《ゆくわい》で愉快《ゆくわい》で堪《たま》らない、丁度《ちやうど》牧塲《まきば》に遊《あそ》ぶ小羊《こひつじ》のやうに其處此處《そここゝ》となく飛《と》んで歩《ある》いて、折々《をり/\》私《わたくし》の側《そば》へ走《はし》つて來《き》ては甲板《かんぱん》の上《うへ》に裝置《さうち》された樣々《さま/″\》の船具《せんぐ》について疑問《ぎもん》を起《おこ》し、又《また》は母君《はゝぎみ》の腕《うで》にすがつて遙《はる》かに見《み》ゆる島々《しま/″\》を指《ゆびざ》し『あれは子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]の家《いへ》の三|階《がい》から見《み》へるエリノ[#「エリノ」に二重傍線]島《しま》にその儘《まんま》です事《こと》、此方《こなた》のは頭《あたま》の禿《は》げた老爺《おぢい》さんが魚《さかな》を釣《つ》つて居《を》る形《かたち》によく似《に》て居《ゐ》ますねえ。』などゝいと樂《たの》し氣《げ》に見《み》えた。
日《ひ》は漸《やうや》く高《たか》く、風《かぜ》は凉《すゞ》しく、船《ふね》の進行《すゝみ》は矢《や》のやうである。私《わたくし》は甲板《かんぱん》の安樂倚子《あんらくゐす》に身《み》
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