したとも、そして今頃《いまごろ》は、あの保姆《ばあや》や、番頭《ばんとう》のスミス[#「スミス」に傍線]さんなんかに、お前《まへ》が温順《おとな》しくお船《ふね》に乘《の》つて居《を》る事《こと》を話《はな》していらつしやるでせう。』と言葉《ことば》やさしく愛兒《あいじ》の房々《ふさ/″\》せる頭髮《かみのけ》に玉《たま》のやうなる頬《ほゝ》をすり寄《よ》せて、餘念《よねん》もなく物語《ものがた》る、これが夫人《ふじん》の爲《た》めには、唯一《ゆいいつ》の慰《なぐさみ》であらう。かゝる優《やさ》しき振舞《ふるまひ》を妨《さまた》ぐるは、心《こゝろ》なき業《わざ》と思《おも》つたから、私《わたくし》は態《わざ》と其處《そこ》へは行《ゆ》かず、少《すこ》し離《はな》れてたゞ一人《ひとり》安樂倚子《アームチエヤー》の上《うへ》へ身《み》を横《よこた》へて、四方《よも》の風景《けしき》を見渡《みわた》すと、今宵《こよひ》は月《つき》明《あきら》かなれば、さしもに廣《ひろ》きネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]灣《わん》も眼界《がんかい》到《いた》らぬ隈《くま》はなく、おぼろ/\に見《み》ゆるイスチヤ[#「イスチヤ」に二重傍線]の岬《みさき》には廻轉燈明臺《くわいてんとうめうだい》の見《み》えつ、隱《かく》れつ、天《てん》に聳《そび》ゆるモリス[#「モリス」に二重傍線]山《ざん》の頂《いたゞき》にはまだ殘《のこん》の雪《ゆき》の眞白《ましろ》なるに、月《つき》の光《ひかり》のきら/\と反射《はんしや》して居《を》るなど得《え》も言《い》はれず、港内《かうない》は電燈《でんとう》の光《ひかり》煌々《くわう/\》たる波止塲《はとば》の附近《ほとり》からずつと此方《こなた》まで、金龍《きんりう》走《わし》る波《なみ》の上《うへ》には、船艦《せんかん》浮《うか》ぶ事《こと》幾百艘《いくひやくさう》、出《で》る船《ふね》、入《い》る船《ふね》は前檣《ぜんしやう》に白燈《はくとう》、右舷《うげん》に緑燈《りよくとう》、左舷《さげん》に紅燈《こうとう》の海上法《かいじやうはふ》を守《まも》り、停泊《とゞ》まれる船《ふね》は大鳥《おほとり》の波上《はじやう》に眠《ねむ》るに似《に》て、丁度《ちやうど》夢《ゆめ》にでもあり相《さう》な景色《けしき》! 私《わたくし》は此樣《こん》な風景《ふ
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