このこと》は旦那樣《だんなさま》にも奧樣《おくさま》にも毎度《いくたび》か申上《まうしあ》げて、何卒《どうか》今夜《こんや》の御出帆《ごしゆつぱん》丈《だ》けは御見合《おみあは》せ下《くだ》さいと御願《おねが》ひ申《まう》したのですが、御兩方《おふたり》共《とも》たゞ笑《わら》つて「亞尼《アンニー》や其樣《そんな》に心配《しんぱい》するには及《およ》ばないよ。」と仰《おほ》せあるばかり、少《すこ》しも御聽許《おきゝ》にはならないのです。けれど賓人《まれびと》よ、私《わたくし》はよく存《ぞん》じて居《を》ります、今夜《こんや》の弦月丸《げんげつまる》とかで御出發《ごしゆつぱつ》になつては、奧樣《おくさま》も、日出雄樣《ひでをさま》も、决《けつ》して御無事《ごぶじ》では濟《す》みませんよ。』
『無事《ぶじ》で濟《す》まんとは――。』と私《わたくし》は思《おも》はず釣込《つりこ》まれた。
『はい、决《けつ》して御無事《ごぶじ》には濟《す》みません。』と、亞尼《アンニー》は眞面目《まじめ》になつた、私《わたくし》の顏《かほ》を頼母《たのも》し氣《げ》に見上《みあ》げて
『私《わたくし》は貴方《あなた》を信《しん》じますよ、貴方《あなた》は决《けつ》してお笑《わら》ひになりますまいねえ。』と前置《まへおき》をして斯《か》う言《い》つた。
『ウルピノ[#「ウルピノ」に二重傍線]山《さん》の聖人《ひじり》の仰《おつしや》つた樣《やう》に、昔《むかし》から色々《いろ/\》の口碑《くちつたへ》のある中《なか》で、船旅《ふなたび》程《ほど》時日《とき》を選《えら》ばねばならぬものはありません、凶日《わるいひ》に旅立《たびだ》つた人《ひと》は屹度《きつと》災難《わざはひ》に出逢《であ》ひますよ。これは本當《ほんたう》です、現《げん》に私《わたくし》の一人《ひとり》の悴《せがれ》も、七八|年《ねん》以前《いぜん》の事《こと》、私《わたくし》が切《せつ》に止《と》めるのも聽《き》かで、十|月《ぐわつ》の祟《たゝり》の日《ひ》に家出《いへで》をしたばかりに、終《つひ》に世《よ》に恐《おそ》ろしい海蛇《うみへび》に捕《と》られてしまいました。私《わたくし》にはよく分《わか》つて居《ゐ》ますよ。奧樣《おくさま》とて日出雄樣《ひでをさま》とて今夜《こんや》御出帆《ごしゆつぱん》になつたら决《けつ》し
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