《まうじう》毒蛇《どくじや》の危害《きがい》を防《ふせ》いで呉《く》れた、一頭《いつとう》の猛犬《まうけん》があつた。名《な》は稻妻《いなづま》といつて、櫻木大佐《さくらぎたいさ》の秘藏《ひぞう》の犬《いぬ》の由《よし》、形《かたち》は犢牛《こうし》程《ほど》巨大《おほき》く、毛《け》の眞黒《まつくろ》な、尾《を》のキリヽと卷上《まきあが》つた、非常《ひじやう》に逞《たく》ましき犬《いぬ》で、それが痛《ひど》く日出雄少年《ひでをせうねん》の氣《き》に入《い》つて、始終《しじゆう》『稻妻《いなづま》や/\。』と、一處《いつしよ》になつて走廻《はしりまわ》つて居《を》る内《うち》に、いつか仲《なか》がよくなつて、夕刻《ゆふこく》、家《いへ》に歸《かへ》つた時《とき》も、稻妻《いなづま》は此《この》可憐《かれん》なる少年《せうねん》と戯《たわむ》れつゝ、思《おも》はず二階《にかい》まで驅上《かけあが》つて、武村兵曹《たけむらへいそう》に箒《ほうき》で追出《おひだ》された程《ほど》で、日出雄少年《ひでをせうねん》は此《この》犬《いぬ》の爲《た》めに、晩餐《ばんさん》の美味《おい》しい「ビフステーキ」を、其儘《そのまゝ》窓《まど》から投《な》げてやつてしまつた。
さて、其《その》翌日《よくじつ》になると、日出雄少年《ひでをせうねん》は、稻妻《いなづま》といふ好《よき》朋友《ともだち》が出來《でき》たので、最早《もはや》私《わたくし》の傍《そば》にのみは居《を》らず、朝早《あさはや》くから戸外《こぐわい》に出《い》でゝ、波《なみ》青《あを》く、沙《すな》白《しろ》き海岸《かいがん》の邊《へん》に、犬《いぬ》の脊中《せなか》に跨《またが》つたり、首《くび》に抱着《いだきつ》いたりして、餘念《よねん》もなく戯《たわむ》れて居《を》るので、私《わたくし》は一人《ひとり》室内《しつない》に閉籠《とぢこも》つて、今朝《けさ》大佐《たいさ》から依頼《いらい》された、或《ある》航海學《かうかいがく》の本《ほん》の飜譯《ほんやく》にかゝつて一日《いちにち》を暮《くら》してしまつた。此《この》飜譯《ほんやく》は、仕事《しごと》の餘暇《よか》、水兵等《すいへいら》に教授《けふじゆ》の爲《ため》にと、大佐《たいさ》が餘程《よほど》以前《いぜん》から着手《ちやくしゆ》して居《を》つたので、殘《のこ》り
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