《めて》にシカと抱《いだ》いて居《を》つた。けれど夫人《ふじん》の姿《すがた》は見《み》えない『春枝夫人《はるえふじん》、々々。』と聲《こゑ》を限《かぎ》りに呼《よ》んで見《み》たが應《こたへ》がない、只《たゞ》一度《いちど》遙《はる》か/\の波間《なみま》から、微《かす》かに答《こたへ》のあつた樣《やう》にも思《おも》はれたが、それも浪《なみ》の音《おと》やら、心《こゝろ》の迷《まよ》ひやら、夫人《ふじん》の姿《すがた》は遂《つひ》に見出《みいだ》す事《こと》が出來《でき》なかつたのである、私《わたくし》は幼少《えうせう》の頃《ころ》から、水泳《すいえい》には極《きは》めて達《たつ》して居《を》つたので、容易《ようゐ》に溺《おぼ》れる樣《やう》な氣遣《きづかひ》はない、日出雄少年《ひでをせうねん》を抱《いだ》き一個《いつこ》の浮標《ブイ》を力《ちから》に、一時《ひとゝき》ばかり海中《かいちう》に浸《ひた》つて居《を》つたが、其内《そのうち》に救助《すくひ》を求《もと》むる人《ひと》の聲《こゑ》も聽《きこ》えずなり、其《その》身《み》も弦月丸《げんげつまる》の沈沒《ちんぼつ》した處《ところ》より餘程《よほど》遠《とうざ》かつた樣子《やうす》、不意《ふゐ》に日出雄少年《ひでをせうねん》が『あら黒《くろ》い物《もの》が。』と叫《さけ》ぶので、愕《おどろ》いて頭《つむり》を上《あ》げると、今《いま》しも一個《いつこ》の端艇《たんてい》が前方《ぜんぽう》十四五ヤードの距離《へだゝり》に泛《うか》んで居《を》る、之《これ》は先刻《せんこく》多人數《たにんずう》が乘《の》つた爲《ため》に、轉覆《てんぷく》した中《うち》の一艘《いつさう》であらう。近《ちか》づいて見《み》ると艇中《ていちう》には一個《いつこ》の人影《ひとかげ》もなく、海水《かいすい》は艇《てい》の半《なか》ばを滿《みた》して居《を》るが、何《なに》は兎《と》もあれ天《てん》の助《たすけ》と打《うち》よろこび、少年《せうねん》をば浮標《ブイ》に托《たく》し、私《わたくし》は舷側《げんそく》に附《つ》いて泳《およ》ぎながら、一心《いつしん》に海水《かいすい》を酌出《くみだ》し、曉《あかつき》の頃《ころ》になつて漸《やうや》く水《みづ》も盡《つ》きたので、二人《ふたり》は其《その》中《なか》に入《い》り、今《いま》は何
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