ひ》は助《たす》かる事《こと》もありませう。」と明眸《めいぼう》に露《つゆ》を湛《たゝ》えて天《てん》を仰《あほ》いだ。
忽《たちま》ち、暗澹《あんたん》たる海上《かいじやう》に、不意《ふい》に大叫喚《だいけうくわん》の起《おこ》つたのは、本船《ほんせん》を遁《のが》れ去《さ》つた端艇《たんてい》の餘《あま》りに多人數《たにんずう》[#ルビの「たにんずう」は底本では「たにんず」]を載《の》せたため一二|艘《そう》波《なみ》を被《かぶ》つて沈沒《ちんぼつ》したのであらう。
『オー、無殘《むざん》に。』と春枝夫人《はるえふじん》は手巾《ハンカチーフ》に面《おもて》を蔽《おほ》ふた。
『あれは自業自得《じがふじとく》です。』と私《わたくし》は冷笑《れいせう》を禁《きん》じ得《え》なかつた。
弦月丸《げんげつまる》の運命《うんめい》は最早《もはや》一|分《ぷん》、二|分《ふん》、甲板《かんぱん》には殘《のこ》る一艘《いつそう》の端艇《たんてい》も無《な》い、斯《か》くなりては今更《いまさら》何《なに》をか思《おも》はん、せめては殊勝《けなげ》なる最後《さいご》こそ吾等《われら》の望《のぞみ》である。
『夫人《おくさん》!。』と私《わたくし》は靜《しづか》に夫人《ふじん》を呼《よび》かけた。
『何事《なにごと》も天命《てんめい》です、然《しか》し吾等《われら》は此《この》急難《きふなん》に臨《のぞ》んでも、我《わが》日本《につぽん》の譽《ほまれ》を傷《きづゝ》けなかつたのがせめてもの滿足《まんぞく》です。』と語《かた》ると、夫人《ふじん》も微《かす》かにうち點頭《うなづ》き、俯伏《ひれふ》して愛兒《あいじ》の紅《くれない》なる頬《ほう》に最後《さいご》の接吻《せつぷん》を與《あた》へ、言葉《ことば》やさしく
『日出雄《ひでを》や、お前《まへ》は今《いま》此《この》災難《さいなん》に遭《あ》つても、ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]で袂別《わかれ》の時《とき》に父君《おとつさん》の仰《お》つしやつたお言葉《ことば》を忘《わす》れはしますまいねえ。』と言《い》へば、日出雄少年《ひでをせうねん》は此時《このとき》凛乎《りんこ》たる面《かほ》を擧《あ》げ
『覺《おぼ》えて居《ゐ》ます。父樣《おとつさん》が私《わたくし》の頭《あたま》を撫《な》でゝ、お前《まへ》は日本人《につぽん
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