》な事《こと》と知《し》つたら何故《なぜ》倫敦《ロンドン》邊《へん》の流行歌《はやりうた》の一節《ひとふし》位《ぐら》いは覺《おぼ》えて置《お》かなかつたらうと悔《くや》んだが追付《おひつ》かない、餘《あま》りの殘念《くやし》さに春枝夫人《はるえふじん》の顏《かほ》を見《み》ると、夫人《ふじん》も今《いま》の嘲罵《あざけり》を耳《みゝ》にして多少《たせう》心《こゝろ》に激《げき》したと見《み》へ、柳《やなぎ》の眉《まゆ》微《かす》かに動《うご》いて、そつと[#「そつと」に傍点]私《わたくし》に向《むか》ひ『何《なに》かやつて見《み》ませうか。』といふのは腕《うで》に覺《おぼえ》のあるのであらう、私《わたくし》は默《だま》つて點頭《うなづ》くと夫人《ふじん》は靜《しづか》に立上《たちあが》り『皆樣《みなさま》のお耳《みゝ》を汚《けが》す程《ほど》ではありませんが。』と伴《ともな》はれてピアノ臺《だい》の上《うへ》へ登《のぼ》つた。忽《たちま》ち聽《き》く盤上《ばんじやう》玉《たま》を轉《まろ》ばすが如《ごと》き響《ひゞき》、ピアノに神《かみ》宿《やど》るかと疑《うたが》はるゝ、其《その》妙《たへ》なる調《しら》べにつれて唱《うた》ひ出《いだ》したる一曲《ひとふし》は、これぞ當時《たうじ》巴里《パリー》の交際《かうさい》境裡《じやうり》で大流行《だいりうかう》の『菊《きく》の國《くに》の乙女《おとめ》』とて、筋《すぢ》は日本《につぽん》の美《うる》はしき乙女《おとめ》の舞衣《まひぎぬ》の姿《すがた》が、月夜《げつや》にセイヌ[#「セイヌ」に二重傍線]河《かは》の水上《みなか》に彷徨《さまよ》ふて居《を》るといふ、極《きは》めて優美《ゆうび》な、また極《きは》めて巧妙《こうめう》な名曲《めいきよく》の一節《ひとふし》、一|句《く》は一|句《く》より華《はなや》かに、一|段《だん》は一|段《だん》よりおもしろく、天女《てんによ》御空《みそら》に舞《ま》ふが如《ごと》き美音《びおん》は、心《こゝろ》なき壇上《だんじやう》の花《はな》さへ葉《は》さへ搖《ゆる》ぐばかりで、滿塲《まんじやう》はあつと言《い》つたまゝ水《みづ》を打《う》つた樣《やう》に靜《しづ》まり返《かへ》つた。
其《その》調《しら》べがすむと、忽《たちま》ち崩《くづ》るゝ如《ごと》き拍手《はくしゆ》のひゞき、一
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