遡る。永遠 風に荒れて 兇行の日々は殷賑たれ。
無題
冬なれば大藍青の下の道なり
樹々のはだ臘のごと凍りはつれど
樹々はみなつめたき炎に裂かれたり
樹々は怒りにふるへをののき
樹々の闘ひ
残雪に影ながくたれ
なにごとか祈らんとしていのりあへず
道のはていづことも知れざれども
壮んなる時をよばひて樹々は光にちぬれたり
ある日無音をわびて
ぺこぺこな自転車にまたがつて
大渡橋をわたつて
秩父颪に吹きまくられて
落日がきんきんして
危険なウヰスキで舌がべろべろで
寒いたんぼに淫売がよろけて
暗くて暗くて
低い屋根に鴉がわらつて
びんびんと硝子が破れてしまふて
上州の空はちひさく凍つて
心平の顔がみえなくて
ぺこぺこな自転車にまたがつて
コンクリに乞食がねそべつて
煙草が欲しくつて欲しくつて
だんだん暗くて暗くて
青い図面
A
俺が窓をあけると貴様は階段を馳けおりた
太陽は起重機の下でぼろぼろに錆びてしまつた
電流の作用で群集の額はたちまち蒼褪めていつた
意識の内部に赤い盲腸が氾濫した
くづれた街角に走つて貴様は誰かをしきりに呼んだ
俺はあをい図面を手にして窓をかたく閉ぢた
何処かで銃声が一発した
B
俺が酒場で考へて居ると貴様は鏡をぶちこはした
壁のむかうから太い首が横暴な主張をどなりだした
往来には無数の寝台が獣のやうに流されていつた
俺と貴様は恐ろしい方角に向つて微笑した
並木のはてで無用の情人と別れた影はすでに消えた
ああ 歪める建築の背後にひそむ現実
とほく運河をすべる秋の惨忍な表情を抹殺せよ
秋の封塞
俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する
市街ははや秋の封塞につめたくも斜傾するよ
あの厖大な鉄の下では電波のやうによろめいて
肋骨だけの男らが貧弱に管をまいてゐる
すべてここに実在するものは海面にまで傾倒し
みづからを刺さうとする陰欝なる堆積に充ちあふれ
造船術は街角に灰緑色の皮膚を噛みくだいてゐる
恐ろしい物質の秘密をかんじ その重量を交換し
生物はほとんど幽霊について喚いてゐる
造花はいちめん舗石の上に血を流し
ああ とほく秋色殺到して
[#ここから5字下げ]
赤煉瓦
泥靴
死
[#ここで字下げ終わり]
雲は洋紙のやうに巻かれて高く
ひそかに横行するものは高架橋を窺がひ
光線は幾条も運搬され 吠えない犬が稀薄である
錨はすでに溶解され 百万の時計は瀝青に狂つた
〈なんにも言ふことなんぞあるもんか〉
俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する
眼鏡
どすぐろい男らがいつさんに馳けてゆき
どすぐろい女らがいつさんに馳けてゆき
自然はいちどに憔悴する
工場は一度に燃えあがる
これはなんといふ兇悪な眼鏡の仕掛けであらう
どすぐろい男らがいつさんに倒れ
どすぐろい女らがいつさんに倒れてゆき
あらゆる眼鏡は屠られてしまつた
あ この悲しめる世界の中黙
遠く嵐ははげしく呼ばれ
この鉄橋はさかんにたゝかれてゐる
どすぐろい倒れゆく者等いつさんに重りあひ
やがて曇天は墜落しよう
老将
渺たる陣営のほとりにたてば
にごりたつ瘴気やける霜
肉を剿《た》つみごと山川のうつろひに
せきばくたる内奥の夢も痺びれはてたり
最末人の眷属として積年ひとりこゝに曝らされ
あますなき悲惨の終焉をみ送るわれぞ
おゝ光なら無地とうめい乱射のなか
骨髄といふかの不覊なる情緒に過ぎ来たるわが哀傷の渇きたり
凄涼たる日のあしたにも莞爾として
鞭をなぐればわづかに虚しい影の鳴りひゞき
また捲きあげる黄塵にうたれ
がんとしたはるか山濤のいきづらに打ちむかふ
仰げば昇汞の天の底つねに巨いなる陥穽を愛せり
われの呪ふべきかな
噴火獣の餌食とならばなるも善いかな
いくたびか諸悪奴輩の憂愁に共感せるも
いまにして淋漓たるものをつらぬかんと欲情せり
風に乗る硝煙は風のいやはてに絶えんとして
火の陣営に黒一色の死を混じへ
なにものをもさらに混じえず
かくてもわれに参加するものはあらじ
哈爾浜
埠頭《プリスタン》区ペカルナヤ
門牌不詳のあたり秋色深く
石だたみ荒くれてこぼるゝは何の穂尖ぞ
さびたる風雨の柵につらなり
擾々たる世の妄像ら傷つきたれば
なにごとの語るすべなし
巨いなる土地に根生えて罪あらばあれ
万筋なほ欲情のはげしさを切に疾むなり
在るべき故は知らず
我は一切の場所を捉ふるのみ
かくてまた我が砕く酒杯は砕かれんとするや
かかる日を哀憐の額もたげて訴ふる
優しさ著《し》るきいたましき
少女名は
風芝《ふおんず》とよべり
死の黄なるむざんの光なみ打ちて
麺麹つくる人の影なけれどもペカルナヤ
ひとしきり西寄りの風たち騒ぐなり
海拉爾
凄まじき風の日なり
この日絶え間なく震撼せるは何ぞ
いんいんたる蝕の日なれば
野生の韮を噛むごとき
ひとりなる汗《ハン》の怒りをかんぜり
げに我が降りたてる駅のけはしさ
悲しき一筋の知られざる膂力の証か
啖ふに物なきがごと歩廊を蹴るなり
流れてやまぬ血のなかに泛びいづるは
大興安のみぞおちに一瞬目を閉づる時過ぎるもの
歴史なり
火襤褸なり
永遠熄みがたき汗の意志なり
風の日|※[#「木+草」、255−下−17]《かんば》飛び 祈りあぐる
おお砂塵たちけぶる果に馬を駆れば
色寒き里木《リーム》旅館は傾けり
汗山《ハンオーラ》
茫々たるところ
無造作に引かれし線にはあらず
バルガの天末。
生き抜かんとする
地を灼かんとするは
露はなる岩漿の世にもなき夢なり
あはれ葦酒に酔ふ
旧き靺鞨の血も乾れはてゝ
いまぞ鳴る風の眩暈。
――山汗は蒙古語にて興安嶺の意なり――[#この行は文字小さく]
熱河
冷タク血ニ渇イテ。岩角ヲ 繊維ノヤウナモノ。ソノ杳カナ所 燃エ煌メク深淵《フカミ》ニ難破スル オレノ双《モロ》手。擾キミダス 荊棘ヲ 暗イ溝渠《カナル》ト人影ト死ト。ヒルガエル狂気ノ轍ト。一沫ノビテユメン。アア 縒リタグル熱風ノ一陣ニ 斃サレテ イチメンノ砂ト無為ト。ソノ上ノ苛責ト。熱気ニ刺サレタ網膜ヲズリ墜チテ 何トイフ莫大ナ旅程デアラウカ。オレハ唯一者《タダヒトリ》。灼ケ熾カル自ラノ終焉ニ牙ヲタテ 爛燦タル夢ノ苛察ヲ思ヒ知ルノダ。不可能ノ陥穽ヨ オオ 未知ノ太陽ヨ。スベテ渦巻ケル地平ノ向背カラ 自ラヲ標的トスル虚妄デハナイカ。ズタズタニ肺腑ヲ 荒シテ 羚羊《シャモア》色ノ微塵ガ犯ス。今ハ蒙昧ノ 露ハナル領域ニサヘ驕ルスベモナイ。親愛モナク 糧モナク。掌ニワヅカ最後ノ罌栗ガ潰エ 血漿ガ黝ク 頸ニ錆ビル。晒サレテ 灌木ト死馬ノ間。禿鷹ノ盲イテ 飛ビタツ 熱気ノ底ヲ 諸々ノ息吹キニ耳ヲタテテヰル オレダ。拡リ擾レテソレハ沸キカヘル人口ト季節ノ 喚声ニ乗ツテ。干割レタ台地ニ。鋼ノ堆積ニ。雲ノ涯ニ 裂ケマヂル集団デハナイカ。ソノトドロシイ行方ニコソ 暴溢スル流レ熱河デハナイカ。遂ニ熄ムコトノナイ軋轢ニ タチクラム濛気ノ中ヲ 荊棘ヲ※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、256−下−17]ツテ 起チナホル身ヲ震ハスオレダ。岩角ヲ 血ニ渇イテ夏ガ。鉄車ノ轍ガ。悪草ガ。ナホモ杳カナ穹窿ヲ犇イテヰルノカ。
無題
おほいなる纜あげて
わが怒りの発たんとするに
いまぞ擾乱のあくなき海はあやしとも
ぼーうおーうの叫びしきりなり
見えわかぬ無垢の道
冬ブルキの雲間にいりて
非情の友は最末の日縊れたり
かかるとき蒼茫の日なかにかくれて
何者かわれにせまらんとすなり
無題
醒めがたき虚妄に身をゆだねつゝ
わが飢ゑの深まりゆくを
日はすでに奪はれて
げにあとかたもなき水脈のおそろし
くろがねの冬の砦は手にとらば一片の雲となるべく
手にとらばわが飢ゑも血をなせる灰とならむを
かくてまた
醒めがたき日を享けつがば
なにをもてわが歌のうたはれん
無題
夏は爛燦の肉をやぶれど声なく
われは仮相の作者にすぎざるなり
痺れる水もとうめいに炎をひとたび上げたれど
眼に蒼緑のにがき光をうがちなば
あはれ酔ふこともならじ
迅速のつばさはいや涯の杳き渦流に墜ちんとして
肉のうちをつらぬかば擾然たるを
日ごろむなしきことのみを歌ひ
そが夢のおどろしさに狂奔するものの傷ましきかな
無題
秋はみづいろにはがねをなせど
わが眼にくらく辰砂の方陣はみだれおち
岩巣にたちくらむ豺のごと
ひさしく激情のやまざるかな
日は無辺にせまりてものみなの隈のふるへか
わが肉は酸敗の草にそまりて滄々としづみゆきたり
しらず いづこに敵のかくるや
風の流れてはげしきなかを
黒 ひかり病む鑿地砲台
黒竜江のほとりにて
アムールは凍てり
寂としていまは声なき暗緑の底なり
とほくオノン インゴダの源流はしらず
なにものか※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]げしさのきはみ澱み
止むに止まれぬ感情の牢として黙だせるなり
まこと止むに止まれぬ切なさは
一望の山河いつさいに蔵せり
この日凛烈冬のさなか
ひかり微塵となり
風沈み
滲みとほる天の青さのみわが全身に打ちかかる
ああ指呼の間の彼の枯れたる屋根屋根に
なんぞわがいただける雲のゆかざる
歴史の絶えざる転移のままに
愴然と大河のいとなみ過ぎ来たり
アムールはいま足下に凍てつけり
大いなる
さらに大いなる解氷の時は来れ
我が韃靼の海に春近からん
人傑地霊
巻きあげる竜巻を右とみれば
きまつて鬼《クエイ》の仕業と信じ
左に巻き上がる時
これこそ神《シエン》の到来といふ
かかる無辜にして原始なる民度の
その涯のはて
西はゴビより陰山の北を駆つて
つねに移動して止まぬ大流沙がある
それは西南の風に乗つて濛々たる飛砂となり
酷烈にしていつさいの生成に斧をぶちこむ
乾燥亜細亜の一角にきて
彼はこの土地を愛さずにゐられない
目には静かな笑ひを泛べ吃々として物を言ふ
熱すれば太い指先は宙に描がかれ
それはもう造林設計が形の真に迫る時だ
彼は若く充実せる気力にあふれ
喜びも苦しみも
ともに樹々のいのちとあるやうに見える
樹々は彼の幅ひろい胸をとりまき
樹々はみな彼の愛をうけついで向上する
まことに愛は水のやうに滲透する
彼はふり濺ぐはげしい光を浴びながら
さうしてゆつたりと耕地防風林の中に入つてゆく
私は彼とともに人傑地霊を信じる者だ
底本:「現代日本名詩集大成 七」創元社
1960(昭和35)年11月20日初版発行
※誤植、脱字については、「定本逸見猶吉詩集」思潮社、1966年1月10日初版を参照して確認しました。
※旧仮名遣いの書き方が誤っていると思える箇所がありますが、底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
ファイル作成:
2003年1月15日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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