荒々しい時の転移を聴いてゐる。地に墜ちる気流の行方にもがいては、刹那刹那の断面を過ぎる候鳥の黒く。己はその憎々しい掌に、自らの頽唐を深めて、雲を自在に馳つてゐるのだ。死はやがて己を、天上の水沫に捲き込むであらうか。とまれ無限への不逞な身構へであらうとも、彼の煉瓦台に、一沫の血漿を残すであらう。
ああ今は盛り反へる船体《ハル》の悲しみ、その滲み透る深度にこそ、最も惨忍な意志との婚姻を誓ふのだ。
拒絶されたこの双手を投げるのだ。水沫を擾して、その刻薄をはるかに伝へよう。
友よ。己は君に一撃をくれて此処を発つ。
大外套
足もとの草々は冷たく。泥濘の中を、アカシヤに凭れて水を飲んだ。口に苛立たしい音階を繰り返し、遠く暗欝な入江をかき毟る風に、己は愴然と眼をなげてゐた。なんの当があつて。この丘陵地方の荒頽の中に迷ひこんだのか知らぬ。〈彼の灰色のバルドヰン。怖ろしい大外套の襟をたてて、北方ハンガリヤの暴々たる野末だ。胸の傷痍をまざまざと見せつけて、彼が此方へ顔を向ける。河沿ひの人気ない酒肆の一隅で、己は久しく待つてゐるのだ。※[#「木+解」、第3水準1−86−22]の梢がざわめいて、限りない憂愁の歪みがあたりに拡がる。頂垂れて、しかも力をこめて彼は近づく。硝子戸に黒い紋章。一匹の蠅と砂と。過ぎゆく時が己の肩に羽搏たいてゐる。喉が渇いて、舌が痙れて……〉さうだ、嗤ふべき彼の生涯が、己の肉体にくまなくその破片を留めてゐる。だが敵意と冷笑とで己に挑みかかる彼の辛辣を思へば、寧ろ平静に酒杯をあげる己ではなかつたか、卑屈な闘ひを見棄てて、いまは己は目覚める。そしてまた歩きだす。泥濘の凹地を。アカシヤの伐られた涯を。不器用な音階を繰り返し繰り返し、入江に向つて降りてゆく。歯と歯のあひだの寒烈。裏がへしの低い太陽。太陽こそ恒に陽気でありたい。孤独に価しないものを孤独として、なんと世界は諧謔のない笑ひばかりだ。狂つた頭脳の短い顛末に就て、己は最早考へるどころではないのだ。自分こそ最も奇怪ではないか。冬の襲ふ前に、秋の去らぬ内に、彼の擾然たる街に還らう。
其処には投げだされた鉄器等、毀れた肢体、錯落する事件等。空気にはイペリットが薄く滲みて、軍鶏の肋骨がごつごつ曝らされてゐるのだ。バネの錆びた秘密や喚いてゐる塗料。誰かがきまつて言ふに違ひない。〈ありふれた眠りであつたか。夙く寝台を離れ
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