と。また深夜のど強《ぎつ》い落暉《いりひ》にうたれて、犁《すき》のたぐひを棄て去つた彼等。〈雲と羅針とを嘲りわらふ、その朦昧の顔の冷たさ。〉ひとたび扉口は手荒く閉ざされ、傾く展望はために天末線《スカイライン》を重沛のやうに沈澱したのだ。佯《いつは》りの花と糧秣はぶち撒かれ、床板に虚しく歯車の痕が錆びてゐる。いま襤褸をづらし、十指を組み、ヂザニイの干乾らびた穂束に琥珀を添へて、純潔の死と親愛とを祈る彼等だ。野生の卓に水が流れる。
水が流れる。
一途に貪婪なる収穫の果がこれであらうか。

いよいよ下降する石畳から、壊はされた黒い楔《くさび》の扉口からだ。ざんざんと頽《なだ》れこむ躁擾からそれら卑少の歴史から、虜はれの血肉をみづから引き剥して、己は三歳の嬰児だ。絶えまない不吉の稲妻と、襞もない亜麻の敷布が繋がれて、この無様《ぶざま》な揺籃の底に目覚めてゐるとは誰が知らう。
ああ、最後の人の手から手へ、斑らなる隈どりで残された記憶。あれは秋であつたらうか。〈諸々の狭隘な傲りを押し破つた水。季節を逸れた水の氾濫! それこそ兇なる星辰《ほし》の頽れだ〉四肢を張り、頑強に口を閉ぢ、むざんに釘うたれたまま、ぎるんぎるんと渦巻く気圏に反りながら、冷酷な秋の封鎖のまつただ中を抛れた、その記憶がま新《あた》らしい。己はどんなざまに声をあげたらうか。凹凸に截られた、石畳の隅で、彼等街衢から出はづれ台地を降る者の、塩を銜《ふく》んだ頤が獣のやうに緊るのを知つた時。その不可解の一瞥に、蒼ざめた北方路線がまざまざと牽かれるのを、己は視たのだ。隙もれた裏屋根の、冴えた肋《あばら》に入り交ふものは、しらじらと西風に光る利鎌、はやくも鉤なりに、彼等の額に※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、240−上−14]《まつは》る何ものの翳であらう。ひと時の寂寞。
蘆のよぶ声がする。その向ふを久しく忘られたまま、湾流に沿ふ屍の形。頸のぐるりを霙の兆《しら》せ。錘のやうに寂寞が見えてくるのだ。今こそ潤ひなき火に、密度の凄まじい地角の涯に、彼等ひとしく参加する時を待つてゐるのか。見知らぬ移住地に獣皮を焚き、轍を深める。己は餓ゑ、さらに彼等は餓えるだらう。

   ※[#ローマ数字2、1−13−22]

すべては荒蕪の流域につらなる裏屋根の、出窓の格子に仮泊する、夥しい鴉の群だ。海藻を絡んだ羽を搏つて、失はれた耕地の跡
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