鮨
岡本かの子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)崖《がけ》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)塩|煎餅《せんべい》ぐらいを
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《も》いで
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東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖《がけ》の多い街がある。
表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
つまり表通りや新道路の繁華な刺戟《しげき》に疲れた人々が、時々、刺戟を外《は》ずして気分を転換する為めに紛《まぎ》れ込むようなちょっとした街筋――
福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
古くからある普通の鮨屋《すしや》だが、商売不振で、先代の持主は看板ごと家作をともよ[#「ともよ」に傍点]の両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。
新らしい福ずしの主人は、もともと東京で屈指の鮨店で腕を仕込んだ職人だけに、周囲の状況を察して、鮨の品質を上げて行くに造作もなかった。前にはほとんど出まえだったが、新らしい主人になってからは、鮨盤の前や土間に腰かける客が多くなったので、始めは、主人夫婦と女の子のともよ[#「ともよ」に傍点]三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった。
店へ来る客は十人十いろだが、全体に就《つい》ては共通するものがあった。
後からも前からもぎりぎりに生活の現実に詰め寄られている、その間をぽっと外ずして気分を転換したい。
一つ一つ我ままがきいて、ちんまりした贅沢《ぜいたく》ができて、そして、ここへ来ている間は、くだらなくばか[#「ばか」に傍点]になれる。好みの程度に自分から裸になれたり、仮装したり出来る。たとえ、そこで、どんな安ちょくなことをしても云っても、誰も軽蔑するものがない。お互いに現実から隠れんぼうをしているような者同志の一種の親しさ、そして、かばい合うような懇《ねんごろ》な眼ざしで鮨をつまむ手つきや茶を呑《の》む様子を視合《みあ》ったりする。かとおもうとまたそれは人間というより木石の如く、はたの神経とはまったく無交渉な様子で黙々といくつかの鮨をつまんで、さっさと帰って行く客もある。
鮨というものの生む甲斐々々《かいがい》しいまめやかな雰囲気、そこへ人がいくら耽《ふけ》り込んでも、擾《みだ》れるようなことはない。万事が手軽くこだわりなく行き過ぎて仕舞う。
福ずしへ来る客の常連は、元狩猟銃器店の主人、デパート外客廻り係長、歯科医師、畳屋の伜《せがれ》、電話のブローカー、石膏《せっこう》模型の技術家、児童用品の売込人、兎肉販売の勧誘員、証券商会をやったことのあった隠居――このほかにこの町の近くの何処《どこ》かに棲《す》んでいるに違いない劇場関係の芸人で、劇場がひまな時は、何か内職をするらしく、脂づいたような絹ものをぞろりと着て、青白い手で鮨を器用につまんで喰べて行く男もある。
常連で、この界隈《かいわい》に住んでいる暇のある連中は散髪のついでに寄って行くし、遠くからこの附近へ用足しのあるものは、その用の前後に寄る。季節によって違うが、日が長くなると午後の四時頃から灯がつく頃が一ばん落合って立て込んだ。
めいめい、好み好みの場所に席を取って、鮨種子《すしだね》で融通して呉れるさしみや、酢《す》のもので酒を飲むものもあるし、すぐ鮨に取りかかるものもある。
ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親である鮨屋の亭主は、ときには仕事場から土間へ降りて来て、黒みがかった押鮨を盛った皿を常連のまん中のテーブルに置く。
「何だ、何だ」
好奇の顔が四方から覗《のぞ》き込む。
「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴《さかな》さ」
亭主は客に友達のような口をきく。
「こはだ[#「こはだ」に傍点]にしちゃ味が濃いし――」
ひとつ撮《つま》んだのがいう。
「鯵《あじ》かしらん」
すると、畳敷の方の柱の根に横坐りにして見ていた内儀《かみ》さん――ともよ[#「ともよ」に傍点]の母親――が、は は は は と太り肉《じし》を揺《ゆす》って「みんなおとッつあんに一ぱい喰った」と笑った。
それは塩さんまを使った押鮨で、おからを使って程よく塩と脂を抜いて、押鮨にしたのであった。
「おとっさん狡《ずる》いぜ、ひとりでこっそりこんな旨《うま》いものを拵《こしら》えて食うなんて――」
「へえ、さんまも、こうして食うとまるで違うね」
客たちのこんな話が一しきりがやがや渦まく。
「なにしろあたしたちは、銭のかかる贅沢はできないからね」
「おとっさん、なぜこれを、店に出さないんだ」
「冗談いっちゃ、いけない、これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押されて売れなくなっちまわ。第一、さんまじゃ、いくらも値段がとれないからね」
「おとッつあん、なかなか商売を知っている」
その他、鮨の材料を採ったあとの鰹《かつお》の中落《なかおち》だの、鮑《あわび》の腸《はらわた》だの、鯛《たい》の白子だのを巧《たくみ》に調理したものが、ときどき常連にだけ突出された。ともよ[#「ともよ」に傍点]はそれを見て「飽きあきする、あんなまずいもの」と顔を皺《しわ》めた。だが、それらは常連から呉れといってもなかなか出さないで、思わぬときにひょっこり出す。亭主はこのことにかけてだけいこじ[#「いこじ」に傍点]でむら気なのを知っているので決してねだらない。
よほど欲しいときは、娘のともよ[#「ともよ」に傍点]にこっそり頼む。するとともよ[#「ともよ」に傍点]は面倒臭そうに探し出して与える。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は幼い時から、こういう男達は見なれて、その男たちを通して世の中を頃あいでこだわらない、いささか稚気のあるものに感じて来ていた。
女学校時代に、鮨屋の娘ということが、いくらか恥じられて、家の出入の際には、できるだけ友達を近づけないことにしていた苦労のようなものがあって、孤独な感じはあったが、ある程度までの孤独感は、家の中の父母の間柄からも染みつけられていた。父と母と喧嘩をするような事はなかったが、気持ちはめいめい独立していた。ただ生きて行くことの必要上から、事務的よりも、もう少し本能に喰い込んだ協調やらいたわり方を暗黙のうちに交換して、それが反射的にまで発育しているので、世間からは無口で比較的仲のよい夫婦にも見えた。父親は、どこか下町のビルヂングに支店を出すことに熱意を持ちながら、小鳥を飼うのを道楽にしていた。母親は、物見遊山《ものみゆさん》にも行かず、着ものも買わない代りに月々の店の売上げ額から、自分だけの月がけ貯金をしていた。
両親は、娘のことについてだけは一致したものがあった。とにかく教育だけはしとかなくてはということだった。まわりに浸々《ひたひた》と押し寄せて来る、知識的な空気に対して、この点では両親は期せずして一致して社会への競争的なものは持っていた。
「自分は職人だったからせめて娘は」
と――だが、それから先をどうするかは、全く茫然としていた。
無邪気に育てられ、表面だけだが世事に通じ、軽快でそして孤独的なものを持っている。これがともよ[#「ともよ」に傍点]の性格だった。こういう娘を誰も目の敵《かたき》にしたり邪魔にするものはない。ただ男に対してだけは、ずばずば応対して女の子らしい羞《はじ》らいも、作為の態度もないので、一時女学校の教員の間で問題になったが、商売柄、自然、そういう女の子になったのだと判って、いつの間にか疑いは消えた。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は学校の遠足会で多摩川べりへ行ったことがあった。春さきの小川の淀みの淵を覗いていると、いくつも鮒《ふな》が泳ぎ流れて来て、新茶のような青い水の中に尾鰭《おひれ》を閃《ひら》めかしては、杭根《くいね》の苔《こけ》を食《は》んで、また流れ去って行く。するともうあとの鮒が流れ溜って尾鰭を閃めかしている。流れ来り、流れ去るのだが、その交替は人間の意識の眼には留まらない程すみやかでかすかな作業のようで、いつも若干の同じ魚が、其処《そこ》に遊んでいるかとも思える。ときどきは不精そうな鯰《なまず》も来た。
自分の店の客の新陳代謝はともよ[#「ともよ」に傍点]にはこの春の川の魚のようにも感ぜられた。(たとえ常連というグループはあっても、そのなかの一人々々はいつか変っている)自分は杭根のみどりの苔のように感じた。みんな自分に軽く触れては慰められて行く。ともよ[#「ともよ」に傍点]は店のサーヴィスを義務とも辛抱とも感じなかった。胸も腰もつくろわない少女じみたカシミヤの制服を着て、有合せの男下駄をカランカラン引きずって、客へ茶を運ぶ。客が情事めいたことをいって揶揄《からか》うと、ともよ[#「ともよ」に傍点]は口をちょっと尖《とが》らし、片方の肩を一しょに釣上げて
「困るわそんなこと、何とも返事できないわ」
という。さすがに、それには極く軽い媚《こ》びが声に捩《よじ》れて消える。客は仄《ほの》かな明るいものを自分の気持ちのなかに点じられて笑う。ともよ[#「ともよ」に傍点]は、その程度の福ずしの看板娘であった。
客のなかの湊《みなと》というのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。時によっては、もっと老けて見え、場合によっては情熱的な壮年者にも見えるときもあった。けれども鋭い理智から来る一種の諦念といったようなものが、人柄の上に冴《さ》えて、苦味のある顔を柔和に磨いていた。
濃く縮れた髪の毛を、程よくもじょもじょに分け仏蘭西《フランス》髭《ひげ》を生やしている。服装は赫《あか》い短靴を埃《ほこり》まみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城《ゆうき》で着流しのときもある。独身者であることはたしかだが職業は誰にも判らず、店ではいつか先生と呼び馴れていた。鮨の食べ方は巧者であるが、強《し》いて通がるところも無かった。
サビタのステッキを床にとんとつき、椅子に腰かけてから体を斜に鮨の握り台の方へ傾け、硝子《ガラス》箱の中に入っている材料を物憂そうに点検する。
「ほう。今日はだいぶ品数があるな」
と云ってともよ[#「ともよ」に傍点]の運んで来た茶を受け取る。
「カンパチが脂《あぶら》がのっています、それに今日は蛤《はまぐり》も――」
ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親の福ずしの亭主は、いつかこの客の潔癖な性分であることを覚え、湊が来ると無意識に俎板《まないた》や塗盤の上へしきりに布巾《ふきん》をかけながら云う。
「じゃ、それを握って貰おう」
「はい」
亭主はしぜん、ほかの客とは違った返事をする。湊の鮨の喰べ方のコースは、いわれなくともともよ[#「ともよ」に傍点]の父親は判っている。鮪《まぐろ》の中とろ[#「とろ」に傍点]から始って、つめ[#「つめ」に傍点]のつく煮ものの鮨になり、だんだんあっさりした青い鱗《うろこ》のさかなに進む。そして玉子と海苔《のり》巻に終る。それで握り手は、その日の特別の注文は、適宜にコースの中へ加えればいいのである。
湊は、茶を飲んだり、鮨を味わったりする間、片手を頬に宛てがうか、そのまま首を下げてステッキの頭に置く両手の上へ顎《あご》を載せるかして、じっと眺める。眺めるのは開け放してある奥座敷を通して眼に入る裏の谷合の木がくれの沢地か、水を撒《ま》いてある表通りに、向うの塀《へい》から垂れ下がっている椎《しい》の葉の茂みかどちらかである。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は、初めは少し窮屈な客と思っていただけだったが、だんだんこの客の謎めいた眼の遣《や》り処を見慣れると、お茶を運んで行ったと
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