きから鮨を喰い終るまで、よそばかり眺めていて、一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった。そうかといって、どうかして、まともにその眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈《ぼか》されて危いような気がした。
偶然のように顔を見合して、ただ一通りの好感を寄せる程度で、微笑して呉れるときはともよ[#「ともよ」に傍点]は父母とは違って、自分をほぐして呉れるなにか暖味のある刺戟のような感じをこの年とった客からうけた。だからともよ[#「ともよ」に傍点]は湊がいつまでもよそばかり見ているときは土間の隅の湯沸しの前で、絽《ろ》ざしの手をとめて、たとえば、作り咳《せき》をするとか耳に立つものの音をたてるかして、自分ながらしらずしらず湊の注意を自分に振り向ける所作をした。すると湊は、ぴくりとして、ともよ[#「ともよ」に傍点]の方を見て、微笑する。上歯と下歯がきっちり合い、引緊《ひきしま》って見える口の線が、滑かになり、仏蘭西髭の片端が目についてあがる――父親は鮨を握り乍《なが》らちょっと眼を挙げる。ともよ[#「ともよ」に傍点]のいたずら気とばかり思
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