るで違うね」
 客たちのこんな話が一しきりがやがや渦まく。
「なにしろあたしたちは、銭のかかる贅沢はできないからね」
「おとっさん、なぜこれを、店に出さないんだ」
「冗談いっちゃ、いけない、これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押されて売れなくなっちまわ。第一、さんまじゃ、いくらも値段がとれないからね」
「おとッつあん、なかなか商売を知っている」
 その他、鮨の材料を採ったあとの鰹《かつお》の中落《なかおち》だの、鮑《あわび》の腸《はらわた》だの、鯛《たい》の白子だのを巧《たくみ》に調理したものが、ときどき常連にだけ突出された。ともよ[#「ともよ」に傍点]はそれを見て「飽きあきする、あんなまずいもの」と顔を皺《しわ》めた。だが、それらは常連から呉れといってもなかなか出さないで、思わぬときにひょっこり出す。亭主はこのことにかけてだけいこじ[#「いこじ」に傍点]でむら気なのを知っているので決してねだらない。
 よほど欲しいときは、娘のともよ[#「ともよ」に傍点]にこっそり頼む。するとともよ[#「ともよ」に傍点]は面倒臭そうに探し出して与える。
 ともよ[#「ともよ」に傍点]は幼い時から、こういう男達は見なれて、その男たちを通して世の中を頃あいでこだわらない、いささか稚気のあるものに感じて来ていた。
 女学校時代に、鮨屋の娘ということが、いくらか恥じられて、家の出入の際には、できるだけ友達を近づけないことにしていた苦労のようなものがあって、孤独な感じはあったが、ある程度までの孤独感は、家の中の父母の間柄からも染みつけられていた。父と母と喧嘩をするような事はなかったが、気持ちはめいめい独立していた。ただ生きて行くことの必要上から、事務的よりも、もう少し本能に喰い込んだ協調やらいたわり方を暗黙のうちに交換して、それが反射的にまで発育しているので、世間からは無口で比較的仲のよい夫婦にも見えた。父親は、どこか下町のビルヂングに支店を出すことに熱意を持ちながら、小鳥を飼うのを道楽にしていた。母親は、物見遊山《ものみゆさん》にも行かず、着ものも買わない代りに月々の店の売上げ額から、自分だけの月がけ貯金をしていた。
 両親は、娘のことについてだけは一致したものがあった。とにかく教育だけはしとかなくてはということだった。まわりに浸々《ひたひた》と押し寄せて来る、知識的な空気に対して、この点では両
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