《みあ》ったりする。かとおもうとまたそれは人間というより木石の如く、はたの神経とはまったく無交渉な様子で黙々といくつかの鮨をつまんで、さっさと帰って行く客もある。
 鮨というものの生む甲斐々々《かいがい》しいまめやかな雰囲気、そこへ人がいくら耽《ふけ》り込んでも、擾《みだ》れるようなことはない。万事が手軽くこだわりなく行き過ぎて仕舞う。
 福ずしへ来る客の常連は、元狩猟銃器店の主人、デパート外客廻り係長、歯科医師、畳屋の伜《せがれ》、電話のブローカー、石膏《せっこう》模型の技術家、児童用品の売込人、兎肉販売の勧誘員、証券商会をやったことのあった隠居――このほかにこの町の近くの何処《どこ》かに棲《す》んでいるに違いない劇場関係の芸人で、劇場がひまな時は、何か内職をするらしく、脂づいたような絹ものをぞろりと着て、青白い手で鮨を器用につまんで喰べて行く男もある。
 常連で、この界隈《かいわい》に住んでいる暇のある連中は散髪のついでに寄って行くし、遠くからこの附近へ用足しのあるものは、その用の前後に寄る。季節によって違うが、日が長くなると午後の四時頃から灯がつく頃が一ばん落合って立て込んだ。
 めいめい、好み好みの場所に席を取って、鮨種子《すしだね》で融通して呉れるさしみや、酢《す》のもので酒を飲むものもあるし、すぐ鮨に取りかかるものもある。

 ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親である鮨屋の亭主は、ときには仕事場から土間へ降りて来て、黒みがかった押鮨を盛った皿を常連のまん中のテーブルに置く。
「何だ、何だ」
 好奇の顔が四方から覗《のぞ》き込む。
「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴《さかな》さ」
 亭主は客に友達のような口をきく。
「こはだ[#「こはだ」に傍点]にしちゃ味が濃いし――」
 ひとつ撮《つま》んだのがいう。
「鯵《あじ》かしらん」
 すると、畳敷の方の柱の根に横坐りにして見ていた内儀《かみ》さん――ともよ[#「ともよ」に傍点]の母親――が、は は は は と太り肉《じし》を揺《ゆす》って「みんなおとッつあんに一ぱい喰った」と笑った。
 それは塩さんまを使った押鮨で、おからを使って程よく塩と脂を抜いて、押鮨にしたのであった。
「おとっさん狡《ずる》いぜ、ひとりでこっそりこんな旨《うま》いものを拵《こしら》えて食うなんて――」
「へえ、さんまも、こうして食うとま
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