当る孤児で、医科を出て病院の研究助手を勤めてゐる島谷といふ青年だつた。密閉主義の日比野の家でも、衛生には殊《こと》に神経質のおふみが、何かとこの青年に健康の相談をかけ、出入を許してゐる只《ただ》一人の親戚といふことが出来る。皆三も嫌ひな青年では無かつたが、多く母親の話し相手になつてゐた。お涌も日比野へ遊びに来た序《ついで》に、茶の間で二三度島谷に逢《あ》つたことがあつた。
額《ひたい》が秀でてゐて唇が締《しま》てゐる隅から、犬歯の先がちよつと覗《のぞ》いてゐる。いまに事業家肌の医者になりさうな意志の強い、そして学者風に捌《さば》けてゐる青年だつた。顎《あご》から頬《ほお》へかけて剃《そ》りあとの青い男らしい風貌《ふうぼう》を持つてゐた。
おふみからお涌の仲人《なこうど》口を聞いたとき島谷は
「だが、皆三君の方は」
と聞き返すと、おふみは
「なに、あれとは、ただ御近所のお友達といふだけで、それに皆三は、当分結婚の方は気が無いといふから」
「では、僕の方、お願ひしてみませうか」
島谷はあつさり頼んだ。
おふみがお涌の家へ来ての口上はかうであつた。
「こちらのお嬢さんは、人出入りの多いお医者さまの奥さんには、うつてつけでいらつしやると思ひますので――」
さういひ乍《なが》らもおふみは、何かしらお涌が惜しまれた。おふみに取つてお涌は決して嫌ひな娘ではなかつた。ただ皆三とお涌が結び付くときに、あまりに夫婦一体になり過ぎて母親の自分が除外されさうな危惧《きぐ》のため、二人を一緒にしないさしあたりの回避工作に、島谷との媒酌を思ひ立つたのであるけれど、おふみの心の一隅には、さすがに切ないものが残つてゐた。
お涌の方では、あの大人であつて捌《さば》けて男らしい医師を夫と呼ぶやうになるとは、あまり唐突の感じがしないでもなかつた。しかし、これまた当然のやうに思へた。世間常識から云つて、お涌の家のやうな娘が、ああした身分人柄に嫁入りするのは順当に思へた。皆三と自分との間柄は、たとへ多少の心の触れ合ひがあつたにせよ、恐らくそのくらゐなことは世間の娘の誰もがもつ結婚まへの記憶であり、結婚後にも何の支障もなく残る感情だけのものではあるまいか。お涌は、世間並の娘の気持ちの立場になつて、かうも考へられた。
ひどく乗気になつた兄と両親と、それから日比野の女主人との取計らひで、殆《ほとん
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