冷し白玉を喰べ、東京でも東寄りの下町の小さい踊り場を一つ二つ廻って、貝原はあっさり小初の相手をして踊る。
この界隈の踊り場には、地つきの商店の子弟が前垂《まえだれ》を外して踊りに来る。すこし馴染《なじみ》になった顔にたまたま小初は相手をしてやると、
「へえ、へえ、済みません」
お客にするように封建的《ほうけんてき》な揉《も》み手《て》をして礼をいう。小初はそれをいじらしく思って木屑臭《きくずくさ》い汗の匂《におい》を我慢《がまん》して踊ってやる。
ときどき銀座界隈へまで出掛《でか》けることもある。そうすると今度はニュー・グランドとか風月堂とかモナミとか、格のある店へ入る。そこのロッジ寄りに席を取って、サッパーにしては重苦しい、豪華《ごうか》な肉食をこの娘はうんうん摂《と》る。貝原は不思議がりもせず、小初をこういう性質もある娘だと鵜呑《うの》みにして、どっちにも連れて行く。
月が、日本橋通りの高層建築の上へかかる時分、貝原は今夜は珍《めず》らしく新川|河岸《かし》の堀に臨む料理屋へ小初を連れ込んだ。
「待合《まちあい》?」
小初は堅気《かたぎ》な料理屋と知っていて、わざと呆《とぼ》けて貝原に訊《き》いた。貝原は何の衝動《しょうどう》も見せず
「そんなところへ、若い女の先生を連れて来はしません」と云った。
「でも、いま時分、こんなに遅く、いいのかしらん」
「なに、ちっとばかり、資金を廻してある家なので、自由が利くんです」
涼しい食物の皿《さら》が五つ六つ並んで、腹の減った小初が遠慮《えんりょ》なく箸を上げていると、貝原はビールの小壜《こびん》を大事そうに飲んでいる。ぽつぽつ父親の噂《うわさ》を始めた。
「どうも、うちの老先生のようじゃ、とても身上《しんしょう》の持ち直しは覚束《おぼつか》ないですねえ。事業というものは片っぽうで先走った思い付きを引締《ひきし》めて、片っぽうはひとところへ噛《かじ》り付きたがる不精《ぶしよう》な考えを時勢に遅れないように掻き立てて行く。ここのところがちょっとしたこつです。ところが、老先生にはこの両方の極端のところだけあって、中辺のじっくりした考えが生れ付き抜けていなさる。これじゃ網のまん中に穴があるようなもので、利というものは素通りでさ」貝原は、父親には、反感を持っていないようなものの、何の興味もないらしい口調だった。
「あたし
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