れ家から出て来なかつた。それでも彼は、家に居れば直ぐ近くに離れ家のけはひ[#「けはひ」に傍点]を感じた。奥庭の小径《こみち》の奥|筑波井《つくばい》の向うの梔《くちなし》の隙《すき》、低い風流な離れ家の棟《むね》。それが何度一日に彼の目につくことであらう。結局彼はいつとはなしに娘達と遠ざかつて行つてしまつた。最早《もは》や娘達に弁解の言葉も尽きた。彼の病的に弱つた神経がだん/\娘達への見栄《みえ》や虚構の力をも失つて行つた。離れ家の方から使ひに来る下婢《かひ》達の姿にも顔をそむけるやうに彼はなつた。
繁昌《はんじょう》盛りの商売から日々揚がる莫大な金も追々彼にはうとましくなつて行つた。彼はなほ委細に彼の身辺に何か業因らしいものを認めようとあせつた。が、彼の屋敷内の数多い倉の一つにも一人の人柱は用ゐてはゐない。一日に何|石《こく》何|俵《びょう》を搗《つ》き出す穀倉の杵《きね》と臼《うす》の一つでも、何十人のなかの誰の指一本でも搗きつぶしたことがあらうか……何にもない。誰を誰もが、どうもしない。三十余年前自分が身を浄《きよ》めて土台を据ゑたこの屋敷内へ、どうしてあの様な浅ましい妄鬼――
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