は煙草《たばこ》を置いて、夏のはじめ泰松寺の老師から伝授されたうろ覚えの懺悔文《さんげもん》をあわてゝ中音に唱へ始めた。
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我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生 一切我今皆懺悔
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この口唱が一しきり済んで、娘達のまぼろしの一めぐりしたあとへ、屋敷内のありとあらゆる倉々の俤《おもかげ》が彼の眼の前で躍《おど》り始めた。黒塗りに光る醤油《しょうゆ》倉、腰板鎧《こしいたよろい》の味噌《みそ》倉、そのほか厳丈《がんじょう》な石作りの米倉、豆倉。
彼は、今度は少し大きな声で経を誦《ず》し続けた。だが、まばたき一つで、また娘達のまぼろしがかへつて来た。
読経《どきょう》の声が、ずつと高くなると娘達の姿はかき消えて、今度は店の番頭小僧、はした[#「はした」に傍点]達のまぼろしがぞろ/\眼の前をとほり始めた。
瞼《まぶた》をべつかつこう[#「べつかつこう」に傍点]した小僧もあり、平身低頭の老番頭、そのかげから、昔、かけ先きの間違ひで無体《むたい》に解雇した中年の男のうらめしさうな顔も出る。
宗右衛門はふら/\と起き上ると、あやふくの
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