さを敢《あえ》てするまで、老師への哀訴の情が、切迫してしまつたのである。老師は、両方の縷述と哀訴を懇切に聴き取つた。そして、今後一切を、自分の指図のもとに取り行ふやうかたく双方ともに約束させた。
「現実を回避せず、あくまでもそれに直面して人生の本然を味得すること。本当に生きる強味は其処《そこ》から出る」
 これを判り易《やす》く飜訳《ほんやく》して老師は宗右衛門に会得《えとく》させた。その具体的な手段として宗右衛門の居室は寺の花畑から不具の娘達の直ぐ傍に移された。気儘《きまま》な妄想を払つて不具に直面し、不具の実在性を確《し》つかり見詰めよといふのであつた。
「欲望を正当に生かすこと」
 これを判り易く飜訳して、添田家親類一統へ説き聞かせた。即刻、宗右衛門に適当な後妻を、あらゆる方面へ彼自身にも親類一統へも物色させた。
「個性の使命をはたすこと、自身の力量に適応した家業に、善悪貴賤の差別なし」
 これを宗右衛門にあてはめる以上、彼は急ぎ家業に復帰しなければならないのであつた。
 その年の初夏、宗右衛門は新らしくめとつた後妻と、不具の娘二人を連れて或る有名な遠国の温泉へ行つた。一ヶ月以上の滞在で彼の健康も、病後のお小夜の健康も、ずつと立ち戻つた。
 彼は再び家業に就《つ》いた。家運は見る見る旧に戻つた。寺の花園は四季年々咲いた。或年の初夏、牡丹《ぼたん》が特別に見事な盛りを見せた年であつた。添田家の花宴が其処《そこ》で催された。引きめぐらした幔幕《まんまく》の内、正面には泰松寺の老師、宗右衛門自身の左右には不具の娘が美装して二人並び、ずつと下つて上品な年増盛りの彼の後妻がつゝましく座つた。そのほか親類一統、大勢の村民達も招かれた。
 たゞ宗右衛門は、以前よりずつと沈黙になり、そして痩《や》せた――それは彼が老来の衰へを示すものではなかつた。引きしまつた彼の上皮の下には、生き生きとして落ち付いた力が寂しく光つてゐるのであつた。
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(後記)
王朝時代の末期になつて、文化の爛熟《らんじゅく》による人間の官能と情感がいやが上にも発達し、現実的には高度の美意識による肉的なものを追ひ求める一方、歓楽極まつて哀愁生ずる譬《たと》へ通り、人々、省己嫌厭の不安から崇高な求道の志を反比例に募らせる。この二つの欲求の調和に応ずべく、仏教にもいろ/\の変貌《へんぼう》を
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