い》に噂が立ちかけて来た、老妓の若い燕《つばめ》というそんな気配はもちろん、老妓は自分に対して現わさない。
何で一人前の男をこんな放胆な飼い方をするのだろう。柚木は近頃工房へは少しも入らず、発明の工夫も断念した形になっている。そして、そのことを老妓はとくに知っている癖に、それに就《つ》いては一言も云わないだけに、いよいよパトロンの目的が疑われて来た。縁側に向いている硝子《ガラス》窓から、工房の中が見えるのを、なるべく眼を外らして、縁側に出て仰向けに寝転ぶ。夏近くなって庭の古木は青葉を一せいにつけ、池を埋めた渚《なぎさ》の残り石から、いちはつ[#「いちはつ」に傍点]やつつじの花が虻《あぶ》を呼んでいる。空は凝《こご》って青く澄み、大陸のような雲が少し雨気で色を濁しながらゆるゆる移って行く。隣の乾物《ほしもの》の陰に桐の花が咲いている。
柚木は過去にいろいろの家に仕事のために出入りして、醤油樽の黴《かび》臭い戸棚の隅に首を突込んで窮屈な仕事をしたことや、主婦や女中に昼の煮物を分けて貰って弁当を使ったことや、その頃は嫌《いや》だった事が今ではむしろなつかしく想い出される。蒔田の狭い二階で
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