三木雄は詩のような口調でそれを繰り返すようになった。
 武蔵野へ帰って来てから二月の末に大雪が降った。「積雪|皓々《こうこう》とは雪が真白くということなの、雪はただ白いのよ、そら熱海の梅とおんなじに白いのよ、けど積るとそれが白いままに光るのよ。」
 白いいろ、白いものはただ無限。白ばら、白百合《しらゆり》、白壁、白鳥。紅いものには紅百合、紅ばら、紅珊瑚《べにさんご》、紅焔、紅茸、紅|生姜《しょうが》――青い青葉、青い虫、黄いろい菜の花、山吹の花。
 こう愛情で心身の撫育を添え労《いたわ》りながら、智子の教え込む色別を三木雄は言葉の上では驚くべき速度で覚えて行った。そればかりでなく、三木雄は次ぎの未知の世界への好奇心から、子供が菓子をでもねだるように智子の教唆をねだり続けるのであった。智子は、そういう性格の表れに、三木雄の執拗な方面をも知り得るのであった。生後二十余年間未開のままで蓄積されていた三木雄の生命の精力が視覚を密閉された狭い放路から今や滾々《こんこん》として溢れ出て来るのを感じた。それはまた時として、夫として、男性としての三木雄が妻として女性としての智子に注がれる濃情ともなり、時には、一種の盲目の片意地となっても表われて智子に頼母《たのも》しくも暗い思いをさせるのであった。
 大たい晩春もずっと詰まる頃までの二人の生活は前へ前へと進んで行く好奇心や驚異やそれらのものが三木雄によって感じ出される卒先なものであるにしても妻の智子にとってもスムーズな生活の進行体であった。それには若き二人の愛恋の情も甘く和やかに時には激しく急しく伴奏した。
 だが智子は近頃少しずつ夫の内部に変調のきざしたのを知らなければならなくなった。あるよく晴れ渡った晩春の午後、智子はその日出来上って来た新調の洋服を三木雄に着せて裏の丘続きからちょっと武蔵野の遊覧地になっている地帯に出た。その道は智子と度々《たびたび》散歩しつけているので三木雄は智子が傍で具合すれば杖《つえ》で上手に道を探って、ステッキをあしらって歩く眼明きの紳士風に、割り合いに軽快に歩けた。長身痩躯、漆黒な髪をオールバックにした三木雄は立派な一個の美青年だった。眼鏡の下の三木雄の眼はその病症が緑内障《くろそこひ》であるせいか眼鏡の下に一寸見には生き生きと開いた眼に見えた。行き逢う人達の何人が、三木雄を盲青年と見たであろうか、

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