そして、自分に何か余計なものかもしくは足りないもののありそうな遺憾が間歇泉《かんけつせん》のように胸に吹き上がる。けれども、それは直接男性というものに対する抗議にはならなかった。彼女は男性というものには、コーチの松浦を通して対している。
 この洋行帰りの青年紳士は、室子の家の遠縁に当り、嘗《かつ》て彼女をスカールへ導き、彼女に水上選手権を得させ、スポーツの醍醐味《だいごみ》も水の上の法悦も、共に味わせて呉れた男だった。
 親切で厳しく、大事な勝負には一しょに嘆いたり悦んだりして呉れる。艇を並べて漕ぎ進む。すると松浦は微笑の唇に皮肉なくびれ[#「くびれ」に傍点]を入れ乍ら漕ぎ越す。擬敵に対する軽い憎しみはやがて力強い情熱を唆《そそ》って漕ぎ勝とうと彼女を一心にさせる。また松浦が漕ぎ越す。一進一退のピッチは軈《やが》て矢を射るよりも速くなっても、自分には同じ水の上に松浦の艇と自分の艇とが一二メートルずつ競り合っているに過ぎない感じだ。精神の集注は、彼女を迫った意識の世界へ追い込む。両岸、橋、よその船等、舞台の空幕のように注意の外に持ち去られる。ひょっとして競漕の昂揚点に達すると、颱風の中心
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