とするものではなかろうか。
娘は祭の儀を説いて神の中なる神に相逢うといった。
思えば思うほどひとり壁立|万仭《ばんじん》の高さに挺身《ていしん》して行こうとする娘の健気《けなげ》な姿が空中でまぼろしと浮び、娘の足掻《あが》く裳からはうら哀しい雫《しずく》が翁の胸に滴《したた》って翁を苦しめた。
取り付きようもない娘の心にせめて親子の肉情を繋ぎ置き度い非情手段から、翁は呪《のろ》いという逆手《ぎゃくて》で娘の感情に自分を烙印《らくいん》したのだったが、必要以上に娘を傷けねばよいが。
「どうしたらいいだろうなあ」
山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸の叢《くさむら》に靠《もた》せて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。
岸の叢の中には、それを着ものの紐《ひも》につけると物を忘れることができるという萱草《わすれぐさ》も生えていたが、翁はそれも摘まなかった。せめて悩んでいてやることが娘に対する理解の端くれ[#「くれ」に傍点]になりそうに思えた。
前には刀禰《とね》の大河が溶漾《ようよう》と流れていた。上つ瀬には桜皮《かにわ》の舟に小※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]《おがい》を操り、藻臥《もふじ》の束鮒《つかふな》を漁ろうと、狭手《さで》網さしわたしている。下つ瀬には網代《あじろ》人が州の小屋に籠《こも》って網代に鱸《すずき》のかかるのを待っている。
翁はときどき、ひょん[#「ひょん」に傍点]なところで、ひょん[#「ひょん」に傍点]な憩い方をしていると、苦笑して悩みつつある一人ぼっちの自分を見出すのであったが、なかなか腰は上げ悪《にく》かった。
東国のこのわたりの人は言葉や気は荒かったが、根は親切だった。餓えて憩っている老翁のために魚鳥の獲ものの剰ったのを持って来て呉れたり、菱の実や、黒慈姑《えぐ》を持って来て呉れたりした。雨露を凌ぐ菰《こも》の小屋さえ建てて呉れた。
昼は咲き夜は恋宿《こいする》という合歓の木の花も散ってしまった。翁は寂しくなった。翁がこの木の下にしばし疲れを安めるために憩うたのは、一つは、葉の茂みの軟かさにもあるのだろうが一つは微紅《とき》色をした房花に、少女として自分の膝元に育て上げていた時分の福慈の女神の可憐な瞳の面かげを見出していたので
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