》に散りかかって居る花片の間からところどころ延びた散髪に交《まじ》って立つ太い銀色の白髪《しらが》が午後の春陽に光って見えるのでありました。私はそれを見つけて見る見る憂鬱《ゆううつ》になってしまいました。私に附《つ》き添って居た者が気がついて私を診察室の方へ連れて這入《はい》ろうとした時に、廊下の突き当《あた》りの中庭を隔てた一棟の病房から、けたたましい狂女のあばれ狂《くる》う物音が聞《きこ》え始めました。茲にもたわわに咲きたわんだ桜の枝の重なる下――その病房の一つの窓が真黒く口を開けて居《お》りました。そこからかすかに覗《うかが》われる井の中の様《よう》な病房の奥に二人三人の人間の着物の袖《そで》か裾《すそ》かが白くちらちらと動いて見えました……私はあわてて目を逸《そ》らしました。あわてた視線が途惑《とまど》って、窓辺《まどべ》の桜に逸れました。私はぞっとしました。その桜の色の悽愴《せいそう》なのに。

 ずっと前の或《ある》夜、私は友の家の離れの茶室《ちゃしつ》に泊《とま》りました。私は夜中にふと目をさましました。戸の外を、桜|樹立《こだち》がぐるりと囲む……桜が……しんしんと咲き静まった桜樹立が真夜中に……棟《むね》を圧《あっ》して桜樹立が……桜樹立がしんしんと……私は、ぞっとして夜具《やぐ》をかぶった。
 私はあくる日の朝日がたけて、その部屋のまわりの桜樹立が明るくあたりにかがやくころ目をさました。私の体は夜具の底にかたく丸まり、じっくりと汗になって居《い》ました。



底本:「愛よ、愛」メタローグ
   1999(平成11)年5月8日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集」冬樹社
   1976(昭和51)年発行
※「奇嬌《ききょう》」「しっきりなし」「じっくりと汗に」の表記について、底本は、原文を尊重したとしています。
※底本の「聞《きこ》こえ始めました」を「聞《きこ》え始めました」に改めました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2004年3月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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