にも似た中欧の青深い、初夏の晴れた空に、夢のしたたりのように、あちこちに咲き迸《ほとばし》るマロニエの花。巴里でこの木の花の咲く時節に会ったとき、かの女は眼を一度|瞑《つむ》って、それから、ぱっと開いて、まじまじと葉の中の花を見詰めた。それから無言で、むす子に指して見せた。すると、むす子も、かの女のした通り、一度眼を瞑って、ぱっと開いて、その花を見入った。二人に身慄《みぶる》いの出るほど共通な感情が流れた。むす子は、太く徹《とお》った声でいった。
「おかあさん、とうとう巴里へ来ましたね」
割栗石の路面の上を、アイスクリーム売りの車ががらがらと通って行った。
この言葉には、前物語があった。その頃、美男で酒徒の夫は留守勝ちであった。彼は青年期の有り余る覇気をもちあぐみ、元来の弱気を無理な非人情で押して、自暴自棄のニヒリストになり果てていた。かの女もむす子も貧しくて、食べるものにも事欠いたその時分、かの女は声を泣き嗄《か》らしたむす子を慰め兼ねて、まるで譫言《うわごと》のようにいって聞かした。
「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
その時口
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