むす子は静かに食事を進まして行った。外国の食事の習慣に慣らされて、食事中は込み入った話をしない癖がついている二人は、滑かにあっさり話を交した。
かの女は最初|巴里《パリ》につき、それから主人の用務でイギリスへしばらく滞在するため巴里を出立するとき、むす子に言葉を慣らすため一人で残して置いたのであるが、かの女はむす子の慰めになるかも知れないと、上海《シャンハイ》の船つきで買い入れたカナリヤの鳥籠をもむす子に残していった。むす子はそのカナリヤの餌を貰うのに寄宿の家のものに何といったらいいのか困り果てたという話は、かの女がむす子から度々聞いた経験談だが、観察の角度を代えていままた話されると、相変らず面白かった。
むす子が、だいぶ経験も積んで、巴里郊外の高等学校の予備校の寄宿舎に、たった一人日本人として寄宿した経験談も出た。むす子はそこでフランスの学生と同等に地理や歴史を学んだ。
「画描きだって、こっちに長くいるなら、それそうとう常識的な基礎知識は必要ですからねえ」
いくらか、かの女の性質の飛躍し勝ちなロマン性に薬を利かしたという気味も含めて、
むす子は落着いて語った。
「あんたには、そういう順序を立てた考え深いところもあるのね。そういうところは、あたし敵《かな》わないと思うわ」
かの女は言葉通り尊敬の意を態度にも現わし、居住いを直すようにしていった。しかし、こういう母親を見るのはむす子には可哀《かわい》そうな気がした。それで、その気分を押し散らすようにしてむす子はいった。
「なに、僕だって、おかあさんと同じ性分なんです。そしておかあさんだってずいぶん考え深い方でなくはありませんさ。けれどもおかあさんは女ですから、それを感情の範囲内だけで働かして行けばすみますが、僕は男ですからそうは行きません。そうとう意志を強くして、具体的の事実の上にしっかり手綱を引き締めて行かなければ、そこが違うんでしょうねえ」
けれども、一たんむす子へ萌《きざ》した尊敬の念は、あとから湧《わ》き起るさまざまの感傷をも混えて、昇り詰めるところまで昇り詰めなければ承知出来なかった。かの女は感心に堪え兼ねた瞳《ひとみ》を、黒く盛り上らせてつくづくいった。
「なるほど一郎さんは男だったのねえ。男ってものは辛《つら》いものねえ。しかし、男ってものは矢張り偉いのねえ」
これには流石《さすが》にむす子の鋭い小さい眼も眩《まぶ》しく瞬いて、「こりゃどうもそう真面目《まじめ》に来られちゃ挨拶《あいさつ》に困りますねえ」
と、冗談らしく云って、この問題の討議打切りを宣告した。
かの女が、ほのかに匂《にお》っているオレンジに塗られたブランデーの揮発性に、けへんけへん噎《む》せながら、デザートのスザンヌを小さいフォークで喰《た》べていると、むす子がのそっと立ち上って握手をして迎える気配がした。かの女が振り向くと、さっきの片頬《かたほお》だけで笑う娘が靠《もた》れ框《がまち》の外に来ていた。
「お邪魔じゃなくって」
「いいでしょう、おかあさん、この女《ひと》」
「いいですとも。さあここがいい」かの女は自分の席の傍を指した。かの女に握手をして素直にかの女の隣に坐《すわ》った娘は、
「お姉さま?」とむす子に訊《き》いた。
「ママン」むす子は簡単に答えて、その娘が気だるげにかの女に対して観察の眼を働かしている間に、むす子は母親に日本語で話した。
「この女はね。よく捨てられる女なんですよ。面白いでしょう」
今度はかの女の方が好奇の目を瞠《みは》って娘を観察していると、娘はむす子に訊いた。
「あなた、ママンに何てあたしを紹介したのです?」
「よく捨てられる女って」
それを聞くと娘は、やや興を覚えた張合いのある顔になっていった。
「それは、まだ真実を語っていない。もう一度、ママンに紹介しなさい。よく男を捨てる女って」
そして、彼女はうれしそうに笑った。神秘的に悧巧《りこう》そうな影を、額から下にヴェールのように持っているこの若い娘が、そうやって笑うとき、口の中に未だ発育しない小さい歯が二三枚|覗《のぞ》かれた。その歯はもう永遠に発育しないらしく、小さいままでひねこびた感じを与えた。
むす子は笑いながら娘の抗議を母親に取次いでこういった。
「こんなこといってますがね。この女は決して一ぺんでも自分から男を捨てた事はないんですよ。惚《ほ》れた男はみんなきっと事情が出来て巴里から引上げなくちゃならなくなるんです」
「どうしてなんだろう」
「どうしてですかね」
むす子は、ただしばしば男に訣《わか》れねばならなくなる運命の女であるというところに、あっさり興味を持っているようだった。
ジュジュと仲間呼びされるその娘は、だんだんむす子の母に興味を感じて来た。娘は持
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